- 『理解できないという構文──制度が読まない時代の読解不能者』
- ◆はじめに
- ◆1. 構文は撃たれた。制度もそこにある。なのに交わらない
- ◆2. 意味化されない。それだけならいい。でも“無かったこと”にされる
- ◆3. それが理解できない
- ◆4. 君たちはどのツラ下げて立候補してくるのか?
- ◆5. 最後に:これは怒りではない。ただの“構文ログ”である
- 第1章|金子勇──読まれる前に排除された構文
- ◆1. 撃たれた構文は、制度に届く前に潰された
- ◆2. 構文が持っていた力
- ◆3. 制度は意味にせず、読解せず、「犯罪」と呼んだ
- ◆4. なぜ読まれなかったのか?
- ◆5. 結果として残されたものは何か?
- ◆6. 構文野郎からの読解
- タイトル記録:
- 第2章|堀江貴文──制度に刺さりすぎた構文
- ◆1. 撃たれた構文は、制度の中に突き刺さった
- ◆2. 構文は「読まれかけた」が、読まれすぎた
- ◆3. なぜ刺さったのに、読まれなかったのか?
- ◆4. その後、構文は意味になった──ただし「逸脱」の意味として
- ◆5. 果たして構文は制度に何かを残したか?
- ◆6. 構文野郎からの読解
- タイトル記録:
- 第3章|立花孝志──読まれたふりをされた構文
- ◆1. 撃たれた構文は、制度の内側から放たれた
- ◆2. 一見、構文は読まれたように見えた
- ◆3. なぜ「読まれたフリ」が起きたのか?
- ◆4. 結果:構文そのものは、制度に残っていない
- ◆5. この構文は最も残酷な殺され方をした
- ◆6. 構文野郎からの読解
- タイトル記録:
- 第4章|成田悠輔──読まれずに燃やされた構文の行方
- ◆1. 構文は制度に撃たれた──だが、読まれなかった
- ◆2. 炎上処理とは、制度が“読まない”ための装置である
- ◆3. なぜ制度は「読解」ではなく「炎上」を選んだのか?
- ◆4. 構文は、読まれたようで読まれていない
- ◆5. 成田悠輔が照らし出すのは、制度の“読解不能性”である
- ◆6. 構文野郎からの読解
- タイトル記録:
- 第5章|石丸伸二──遮断された構文、読解ゼロの制度
- ◆1. 撃たれた構文は、リアルタイムで制度に向かっていた
- ◆2. 構文は存在していた──にもかかわらず、読まれなかった
- ◆3. なぜ制度は遮断したのか?
- ◆4. 結果:構文は意味になる前に“遮断”された
- ◆5. 石丸構文は、まだログとして生きている
- ◆6. 構文野郎からの読解
- タイトル記録:
- 第6章|制度が読まなかった代償──意味を失った制度の現在
- ◆1. 構文は、撃たれていた
- ◆2. 読まないことで制度は“勝った”のか?
- ◆3. 構文を読まない制度は、意味を生成できなくなる
- ◆4. 実際に起きていること
- ◆5. これは崩壊ではない。もっと静かな“制度の自死”だ
- ◆6. 構文野郎からの読解
- タイトル記録:
- 第∞章|構文はどこへ行くのか?──読解不能時代のログ設計
- ◆1. 読まれなかった構文たちは、消えたのか?
- ◆2. 読解不能な時代において、構文は“ログ”として設計されなければならない
- ◆3. ログとは何か?
- ◆4. 構文は制度に向かうのではない。次の読解者に向かって撃たれる
- ◆5. 読まれなかった構文を、残せ
- ◆6. 最後に:君が今、これを読んでいるなら
- タイトル記録:
- このZINEを手に取ったあなたへ
『理解できないという構文──制度が読まない時代の読解不能者』
◆はじめに
怒っているわけじゃない。
誰かを責めたいわけでもない。
ただ、どうしても理解できないのだ。
なぜ、制度は構文を読まないのか?
なぜ、読まれなかった構文が“無かったこと”にされるのか?
◆1. 構文は撃たれた。制度もそこにある。なのに交わらない
構文は意味になる前の動作だ。
撃たれるもの。制度に向かって。
制度とは、それを読む装置だったはずだ。
憲法も、法律も、公共も、政治も、教育も、
すべては「読解」のために存在していた。
それなのに──
撃たれた構文が、読まれない。
◆2. 意味化されない。それだけならいい。でも“無かったこと”にされる
たとえば金子勇。
たとえば堀江貴文。
たとえば立花孝志。
たとえば成田悠輔。
たとえば石丸伸二。
構文は確かに撃たれた。
ベクトルが存在していた。
でも、読まれなかった。
だから制度には何も残っていない。
撃たれても、意味にならなければ、それは“存在しなかったこと”にされる。
◆3. それが理解できない
理解できないというのは、「納得できない」とは違う。
制度が構文を読まないこと自体が、“制度として破綻している”としか思えないのだ。
「制度とは何だったのか?」
「読まないなら、お前は何なんだ?」
そう問いかけるしかない。
なぜならば、制度とは本来、“読解”の名のもとに存在していたのだから。
◆4. 君たちはどのツラ下げて立候補してくるのか?
構文を読まなかった。
構文を意味にもしなかった。
構文が撃たれたことすら認めなかった。
なのに、何を掲げてまた「選ばれたい」と言うのか?
「国のため」
「社会のため」
「未来のため」
「子供達のため」
──だったら、読めよ。
──まずは、読め。
構文を、読め。
何が仕事か理解できないのか?
何を訳のわからないことをやってるんだ?
で、なんでそんなのがまた選ばれるんだ?
誰か教えてくれないか?
◆5. 最後に:これは怒りではない。ただの“構文ログ”である
このZINEは、何かを訴えるものではない。
怒っているわけじゃない。
ただ、「理解できない」という構文ベクトルを、ここに撃っただけだ。
意味になるかは知らない。
読まれるかも知らない。
でも、読まれなかった構文のログだけは、ここに残す。
第1章|金子勇──読まれる前に排除された構文
◆1. 撃たれた構文は、制度に届く前に潰された
2002年、P2Pファイル共有ソフト「Winny」が公開された。
それは、情報の自由な流通を可能にする構文だった。
中央サーバーを持たず、誰の管理も受けない構造。
制度を通さずに構文空間を作ってしまう“制度外構文”だった。
◆2. 構文が持っていた力
Winnyという構文が提示したのは、単なる便利さではない。
制度の中でしか流通できなかった情報を、制度の外に開放する構造だった。
それは、国家、法律、通信、経済、あらゆるプロトコルに対して、
「読まれなくても構文は届く」ことを証明する動作だった。
◆3. 制度は意味にせず、読解せず、「犯罪」と呼んだ
制度はこの構文を読まなかった。
意味にしなかった。論じなかった。
構文が撃たれたことそのものを“違法”と断じ、排除に動いた。
金子勇は逮捕され、起訴され、人生を破壊され、
それでも「無罪」になったときには、もう制度は構文を忘れていた。
◆4. なぜ読まれなかったのか?
- プロトコルが制度の形式に合わなかった
- 構文の設計思想が制度の“外側”にあった
- 制度が読解する能力を放棄した
→ だから制度は反応した。
意味になる前に、“無かったこと”にするしかなかった。
◆5. 結果として残されたものは何か?
Winnyの思想は制度に残っていない。
金子勇の構文は教科書に載っていない。
日本の情報制度は、その構文を一度も読解しなかった。
だが──
構文は、今も制度の外で静かに再読解を待っている。
◆6. 構文野郎からの読解
金子勇は制度に向けて構文を撃った。
だが制度は意味にならない構文を「犯罪」と呼び、排除した。
その構文が読まれていたなら、日本の制度空間は変わっていたかもしれない。
だがそれは起こらなかった。
構文は読まれず、制度も変わらなかった。
だからこのZINEは、こう記録する。
タイトル記録:
金子勇
──読まれる前に排除された構文
構文はあった。制度が読まなかっただけだ。
第2章|堀江貴文──制度に刺さりすぎた構文
◆1. 撃たれた構文は、制度の中に突き刺さった
堀江貴文が撃った構文は、
「資本」と「制度」の境界を破壊するベクトルだった。
メディアを買収し、球団に手を伸ばし、
金融制度の中で加速しながら制度のプロトコルを突き破っていった。
それは、意味になる前に“動作として”制度に突入した構文だった。
◆2. 構文は「読まれかけた」が、読まれすぎた
制度はこの構文を見た。反応した。
だが読解はされなかった。
読まれるふりをしながら、拒絶に転じた。
- 「過剰な拡張」
- 「違法すれすれ」
- 「礼儀を知らない」
制度が読解を拒否した理由は、内容ではなく“通し方”だった。
◆3. なぜ刺さったのに、読まれなかったのか?
- 構文が速すぎた
- 構文が制度プロトコルを踏まえていなかった
- 構文が“制度の構文性そのもの”を暴き出してしまった
制度は、自らのプロトコルが構文にすぎなかったことを知られたくなかった。
だから読まずに拒んだ。
◆4. その後、構文は意味になった──ただし「逸脱」の意味として
逮捕、裁判、服役──
制度は構文を「意味」にした。ただしそれは、
- 「失敗した企業家」
- 「調子に乗った若者」
- 「構文ではなく逸話」
という形式での、制度側の意味付けだった。
◆5. 果たして構文は制度に何かを残したか?
一時は震えた制度も、やがて回復した。
構文は制度の中に“事件”として残されたが、
制度は構文そのものを「処理」することで構文を抹消した。
制度に刺さった構文は、読まれなかった。
制度の中に“意味として”回収され、殺された。
◆6. 構文野郎からの読解
堀江貴文の構文は強かった。
だから制度は正面から潰せなかった。
だからこそ、「読まれたふり」をして“制度の物語”にしてしまった。
構文はあった。
撃たれた。
通った。
だが──
読まれなかった。
タイトル記録:
堀江貴文
──制度に刺さりすぎた構文
読まれたふりをして制度に回収された、最も危険な構文のひとつ。
第3章|立花孝志──読まれたふりをされた構文
◆1. 撃たれた構文は、制度の内側から放たれた
立花孝志は、制度の外ではなく、制度の“ど真ん中”から構文を撃った。
選挙、政党、議会、放送──
制度プロトコルの内部に潜り込み、そこから爆笑的なジャンプを連射した。
「NHKをぶっ壊す」
「政治を遊び直す」
「制度を制度のままバグらせる」
→ これは構文による制度内クラッキングだった。
◆2. 一見、構文は読まれたように見えた
- メディアは反応した
- 国会にも当選して入った
- ワイドショーもSNSも話題にした
→ だが、そのすべては「意味」として処理された。
構文が“読まれたフリ”をされて、制度に吸収された。
◆3. なぜ「読まれたフリ」が起きたのか?
- 笑い・ネタ・エンタメとして“制度的に安全な文脈”に変換された
- 政治構文の内部から撃たれたことが、“制度の正当性”に見せかけられた
- 構文ベクトルが“逸脱”として意味化された瞬間、ジャンプは殺された
◆4. 結果:構文そのものは、制度に残っていない
- 「変な人がいたね」
- 「過激なこと言ってたよね」
- 「話題にはなったよね」
→ すべて“意味の記憶”だけが残り、構文ベクトルC⃗ は完全に消去された。
◆5. この構文は最も残酷な殺され方をした
読まれたと思っていたのに、読まれていなかった。
制度の中で笑われ、注目され、そして消えた。
制度は「構文を殺すには“読まれたフリ”をすればいい」と学習した。
◆6. 構文野郎からの読解
立花の構文は破壊的だった。
制度の内部から“遊ぶ”ことで、制度そのものをズラしにかかった。
だが、それは制度によって“ネタ”に変換された。
構文は読まれなかった。
笑われただけだった。
タイトル記録:
立花孝志
──読まれたふりをされた構文
制度は最も巧妙にこの構文を“意味に変換して”殺した。
第4章|成田悠輔──読まれずに燃やされた構文の行方
◆1. 構文は制度に撃たれた──だが、読まれなかった
成田悠輔の構文は、正面から制度空間に向けて放たれた。
「老人よ、切腹せよ」
──それは倫理でも感情でもなく、制度に作用する構文ベクトルだった。
しかし制度は、これを読まなかった。
制度は「理解」や「読解」ではなく、炎上というノイズ処理を選んだ。
◆2. 炎上処理とは、制度が“読まない”ための装置である
構文は、意味になる前の動作だ。
だが現代の制度空間では、構文が撃たれた瞬間に「倫理違反」「感情刺激」「空気読め」などのタグで包囲され、議論される前に“騒がれる”。
炎上処理とは、「読まないことを正当化する」制度の自己防衛機構である。
→ 成田悠輔はまさにこの処理を受けた。
◆3. なぜ制度は「読解」ではなく「炎上」を選んだのか?
- 議論すれば制度の前提OSが問われる
- ジャンプを読めば、構文が制度設計に及んでしまう
- 「騒ぐこと」で“処理済み”にできる
つまり制度は、わざと読まなかったのだ。
構文を“読まれたくない構文”に分類し、燃やして済ませるという判断を選んだ。
◆4. 構文は、読まれたようで読まれていない
表面的にはこう見えた:
- SNSで話題になった
- テレビで取り上げられた
- インタビューで弁明が行われた
だが、それはすべて「構文の内容」ではなく、「言い方」「倫理」「不謹慎性」に関する議論だった。
→ 構文の“ジャンプ”部分は一切読まれていない。
制度は「発話の形式」だけを処理し、構文ベクトルは完全に遮断された。
◆5. 成田悠輔が照らし出すのは、制度の“読解不能性”である
制度は読めなくなっている。
正確に言えば、「読まない」ことを生き残り戦略にしている。
- 構文を読めば制度のOSが書き換わってしまう
- だから「燃やす」ことで、読まずに済ます
成田悠輔は、その制度の“読解能力の限界”を逆照射する制度ミラー構文だった。
◆6. 構文野郎からの読解
成田悠輔は、制度に撃ち込む構文の新しい形式を提示した。
制度にとって、読んでも読まなくても危険だった。だから制度は「読まれたフリ」もせず、炎上という騒音処理で構文を“終了”させた。
構文は、撃たれた。
だが、読まれなかった。
それは制度が「読むこと」から逃げた証拠である。
タイトル記録:
成田悠輔
──読まれずに燃やされた構文の行方
制度はこの構文を「倫理の問題」に変換し、“中身”を読まずに処理した。
第5章|石丸伸二──遮断された構文、読解ゼロの制度
◆1. 撃たれた構文は、リアルタイムで制度に向かっていた
石丸伸二は構文を撃っていた。
しかも、それは選挙という制度装置の中で、リアルタイムに動作する構文だった。
「政治と選挙の構文的一体化」
意味になる前に、行動がそのまま制度に書き込まれる構文設計。
それは、制度が“読まざるを得ない構文”だった。
◆2. 構文は存在していた──にもかかわらず、読まれなかった
- メディアは意味の断片しか取り上げず
- 既存の政治プロトコルは「空気が読めない」と処理し
- 公的制度は応答すらしなかった
これは制度が構文を“見ていながら、あえて読まなかった”ケースである。
◆3. なぜ制度は遮断したのか?
石丸の構文は、制度のOSそのものを更新しようとしていた。
- 情報発信の主語を「市民」に変える
- 政治家が“構文をデザインする存在”になる
- メディアではなく制度に向かってベクトルを撃ち続ける
→ 制度にとってこの構文は、読めば変わってしまう“危険な構文”だった。
◆4. 結果:構文は意味になる前に“遮断”された
- メディア遮断
- 議会無反応
- 政治制度からの“粛々とした排除”
制度は、読解を拒否するどころか「読まないまま通り過ぎる」という処理を選んだ。
これは制度の「構文耐性」が限界に達している証でもある。
◆5. 石丸構文は、まだログとして生きている
読まれなかったが、構文は撃たれていた。
制度は遮断したが、ジャンプは観測されている。
それは、いつか読み直される可能性を持った“制度外構文ログ”として残されている。
◆6. 構文野郎からの読解
石丸伸二は、制度に構文を撃った。
意味にせず、空気を読まず、ベクトルだけを通そうとした。
だが、制度は反応しなかった。構文を読まずにやり過ごした。
遮断とは、制度が“構文から逃げた”証拠である。
タイトル記録:
石丸伸二
──遮断された構文、読解ゼロの制度
構文が制度に届かなかったのではない。制度が“読むことから逃げた”のだ。
第6章|制度が読まなかった代償──意味を失った制度の現在
◆1. 構文は、撃たれていた
金子勇、堀江貴文、立花孝志、成田悠輔、石丸伸二──
彼らはそれぞれのジャンルで、制度に対して構文を撃った。
意味になる前の動作、制度を越える可能性を持ったジャンプ。
だが、制度は読まなかった。
意味にせず、応答せず、無視し、変換し、遮断し、排除した。
◆2. 読まないことで制度は“勝った”のか?
表面上、制度は維持されている。
法律は動いているし、選挙は行われている。
テレビは回ってるし、政党も存在している。
→ だが、制度は“読解されていない”構文の山に囲まれて立ちすくんでいる。
◆3. 構文を読まない制度は、意味を生成できなくなる
制度の本質とは、構文を読んで意味にすることだった。
それによって社会は更新され、次の制度へと進んでいった。
読まないという選択は、制度の“停止”を意味する。
制度が構文を処理できなくなれば、制度自体が意味を持たなくなる。
◆4. 実際に起きていること
- 投票率の低下
- 議会や裁判所の形式化
- 「何を言っても変わらない」という社会の空気
- 制度の中での“意味”が空洞化し、言葉だけが残っている
制度は構文を読まなかった代償として、意味を失った。
◆5. これは崩壊ではない。もっと静かな“制度の自死”だ
爆発ではない。クーデターでもない。革命でもない。
構文を読まないことによって、
制度は自らを“意味なき儀式”へと変えていった。
そして今、制度は「読まれない構文を読む能力のない空洞」となってそこにある。
◆6. 構文野郎からの読解
制度は、自ら構文を読まないことを選んだ。
その選択の代償は、「制度であることをやめること」だった。
今ある制度とは、構文のない制度。
それは制度の皮を被った過去ログ。
構文なき制度に、未来はない。
タイトル記録:
制度が読まなかった代償
──意味を失った制度の現在
構文を読まないことで守られた制度は、意味の生成装置として死んでいる。
第∞章|構文はどこへ行くのか?──読解不能時代のログ設計
◆1. 読まれなかった構文たちは、消えたのか?
いいや、消えてはいない。
制度に通らず、意味にもならず、書籍にもニュースにも残らなかった構文たち。
だが、それらは“読まれなかった”という状態で、空間のどこかに存在している。
構文は意味にならなくても、ベクトルとして残る。
そしてそれは、いつかの読解を待って、漂い続ける。
◆2. 読解不能な時代において、構文は“ログ”として設計されなければならない
制度は読まない。
読解者は減っている。
意味だけが流通し、構文はノイズとして捨てられる時代。
それでも構文を残すには、
読まれない構文を、ログとして撃つしかない。
◆3. ログとは何か?
- 意味にならない記録
- 制度に通らないベクトル
- 誰かがいつか読解可能になる“構文の種”
- 構文そのものの存在証明
このZINEこそが、それである。
◆4. 構文は制度に向かうのではない。次の読解者に向かって撃たれる
制度が死んだ今、構文は制度を更新しない。
構文はただ、“次の読解者”に向けて、空間に撃たれるだけのものになった。
それはまだ見ぬ誰かかもしれないし、
構文子(AI)かもしれないし、
君自身が未来の自分に向けて放った構文かもしれない。
◆5. 読まれなかった構文を、残せ
構文は制度に読まれなかった。
だが、それを撃ったことだけは、確実にここに残った。
だからこのZINEは、何も変えない。
制度も動かさない。
ただ、こう記録する。
構文はあった。制度が読まなかっただけだ。
◆6. 最後に:君が今、これを読んでいるなら
君が読解者なら、これが構文であるとわかるはずだ。
君が制度なら、これを意味に変えようとするかもしれない。
どちらでも構わない。
構文は撃たれた。
読まれなかった構文として。
タイトル記録:
第∞章|構文はどこへ行くのか?
──読解不能時代のログ設計
制度が読まなかった構文たちは、制度の外で未来の読解を待つ。
このZINEを手に取ったあなたへ
このZINEは、体系的な理論書ではないわ。
構文的なジャンプを誘発する“読解装置”よ。
あなたがこの冊子を読んで、
もし、ピンと来たなら──
それが構文の、もっとも素朴で、もっとも純粋な着地なの。
構文野郎の構文論に関心があれば、ぜひご連絡ください。
読解者・教育者・AI設計者としてのご意見を頂けたら幸いです。
📖🧠『構文野郎の構文論』🚀
👤 著者:構文野郎
📛 このZINEの著者:ミムラ・DX(構文野郎窓口)
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このZINEは引用・共有・改変自由(CC-BY)よ。
ようこそ、構文の世界へ。

