構文陰謀論ZINE『ケインズ経済学|物差しで物差しを測るマヌケ野郎のバイブル』

ZINE

これから選挙に臨む高校生に向けたZINE


0章|ホントの陰謀論ZINEへようこそ

──政治のゾンビ化は経済学のバグから始まった。


「なんでこんなに政治がダメなんだろう?」

高校生でもニュースを見ていれば、なんとなく思うはずだ。
選挙は盛り上がらない。
議論は噛み合わない。
そもそも、政治が何を変えてくれるのか、ピンと来ない。

かつて経済成長期の日本は、「経済一流、政治は三流」と言われた。
でも、その評価は本当なんだろうか?

ここで問いを逆にしてみよう。

「政治がダメになったのは、経済がダメだからじゃないの?」

もっと言えば──
「経済をどう捉えるか」という動作が、バグってるんじゃないの?

このZINEは、
そんな仮説からスタートする。

これは陰謀論ではない。
陰謀“構文”論だ。


現代の政治は、確かにゾンビっぽい。
意味を喋るけど、動かない。
スローガンを叫んでいても、世界は変わらない。

でも、ゾンビには「死んだ原因」がある。

その死因が、もしも──
経済学という学問の「構文バグ」によって引き起こされていたとしたら?

それこそが、このZINEが名乗る「ホントの陰謀論」だ。


ここでは、
・政治のゾンビ化がなぜ起きたのか
・その背景にある経済学の思考習慣
・そして、そこからどう抜け出すか

を、
経済学という整列評価の動作を解剖しながら描いていく。

今までの経済の教科書に感じていたモヤモヤを
まっすぐに、思ったままに、斬り込んでいく構文ZINEだ。

ようこそ、ホントの陰謀論へ。


▶︎コラム|『偏差値90のアリ』

ある日僕は、我が家の庭にあったアリの巣の、全てのアリたちの走る速さを記録してみた。
そして、それぞれのアリたちの走力の成績を偏差値で表してみたんだ。

すると、ある個体においては偏差値が90だった。
僕から見ると、似たり寄ったりに見えるアリの足の速さだったが、測る条件によってはそのくらいの偏差が出る程度の個体差はあるらしい。

さて、ここからが問題だ。

その偏差値90のアリは、アリの群れの中で、「優秀なアリ」なんだろうか?

アリの社会において、足の速いアリは他の標準的な足の速さのアリに比べて、アリの社会により多くの価値を提供しているのだろうか?
アリの群れの豊かさや発展により貢献しているのだろうか?

そもそも僕は、何のためにアリの足の速さなんて測ったんだ?



第1章|物差しの呪い

──何を測ってるかを問わずに、「測れる」ことだけを信じた経済学。


経済の授業で最初に出てくるのは、だいたいこのあたりだ。

  • GDP(国内総生産)
  • 成長率
  • インフレ率
  • 雇用率

とにかく「数字」だ。
指標。
グラフ。
比較可能なデータ。

でも、ちょっと立ち止まって考えてほしい。
「この数字たちは、一体何を測ってるのか?」


GDPが伸びれば豊かになった?
雇用が増えれば社会は安定した?
インフレ率が適切なら健全な経済?

それって、ほんとうに測れてる?

むしろ、「測定できるものしか測らない」動作に
経済が閉じ込められているだけじゃないのか。


◉ 物差しを他の物差しで測る経済学

現在の経済学は、こんな動作に陥っている。

「成長率が◯%だから、景気は上向きです」

「その景気を測るために、また別の指標で確認しましょう」

「失業率や物価指数が改善しているから、やっぱり上向きです」

まるで、物差しを別の物差しで測って安心してるような動作。

測定対象(応答や変化、ジャンプ)に触れることなく、
「測定できた事実」が価値になってしまっている。


◉ 「測れる」ことが「正しい」になってしまう構文

でも、本当は逆だったはずだ。

測定とは、何かを理解したいからこそ行われる行為のはず。
ところが今や──

測れる → 比較できる → 操作できる → 正しい

この順番に、動作がすり替わってしまった。


◉ 応答を測れなければ経済ではない?

もともと経済という言葉は、「世を治め、民を救う」営みだった。
それは応答の連鎖のデザインであり、人と人との動態だった。

そのダイナミズムを観察せず、
応答の結果だけを測定対象とした途端に、
経済は「整列空間」に閉じ込められた。


経済学が犯した最大の構文的誤謬──
それは、「測れること」に安心して、「測る意味」を忘れたこと。

だから今、ジャンプが起きない。
整列だけが続いていく。
まるで死者の行進のように。



第2章|ゾンビ化の責任はどこにある?

──「制度を変えることが割に合わない」の正体は、経済学の不備にある。


政治が死んだ。
みんなそう言う。
でも──なぜ死んだのか?

制度を動かすはずの政党が、制度の中で生き延びることしか考えなくなった。
構文陰謀論ZINE『政党助成法』では、こう書いた:


「政党は制度を変えるためのグループ」
──だったはずなんだけど、ある時期から変わった。

制度を変えるのって、めちゃくちゃ大変。
議論も必要だし、敵も作るし、そもそも支持が得られないかもしれない。

その一方で、制度の中でそこそこ生き残るだけなら、ちょっと目立って、票を拾って、あとは既存ルールの上でやりくりすれば何とかなる。

そう気づいた瞬間、政党は「変える」より「居残る」を選んだ。

つまり、
制度を変えることが割に合わないと判断してしまった。

この時点で、もう死んでる。

構文陰謀論ZINE『政党助成法|死んだ政党をゾンビにする法律』


ゾンビ化のトリガーは、「割の合わなさ」だ。

そしてこの「割の合わなさ」を設計しているのは、実は経済学そのものではないのか?


◉ 経済が「割の合わなさ」を設計している?

「制度を変えることが割に合わない」──
この判断はどこから来るのか?

それは、評価されないからだ。
もっと正確に言えば、評価の仕組みが整列圧しか受け付けないからだ。


新しい制度や構文が提示されたとき、
それは測定できない。
比較できない。
スコアに反映されない。

なぜなら、制度が更新された時、
社会には新たな価値が生まれるが、
新たな価値は新たな物差しでしか測れないからだ。

新たな物差しは、
新たな価値が生まれるまで存在し得ない。
つまり、制度を更新するまで
「何がどれだけ良くなるか」は全く評価できない。
それまであった物差しでは測れないのだから。

だから、制度を変えることが最初から経済的に不利に設計されてしまう。

応答を起こす行為は「評価されない」設計になっている。


◉ 「政治の失敗」という物語の終焉

政治がゾンビ化したのは、政治そのものの問題ではない。
評価の動作が間違っていた。

経済学がジャンプを評価できなければ、
政治は動けない。
制度は更新されない。

そして、誰もリスクを取らなくなる。
応答は止まり、経済は静止し、政治はゾンビになる。


◉ 責任のすり替えに気づけ

「政治家が悪い」
「制度が古い」
「社会が未熟」
そうやって責任を転嫁してきた。
だが──

真のゾンビ化の原因は、「経済学の不備」である。

測定偏重。
整列志向。
ジャンプ不在。
それが、「割の合わなさ」の温床となった。



3章|整列圧だけで回る世界

──ジャンプを殺した経済学は、いつから構文を無視しはじめたのか?


いまの経済は、毎日「動いてる」ように見える。
ニュースでは、成長率、物価、金利、為替──
いろんな数字が次々に出てくる。

でも、よく考えてみてほしい。

それで、本当に世界は変わったか?

どこに行っても同じチェーン店。
将来は不安なまま。
仕事は減ってるのに、働き方は変わらない。

──変わってるのは、数字だけじゃないか?


◉ それでも「動いてるように見える」のはなぜか?

答えは簡単。
「過去と比べられる数字」だけで、経済を評価してるからだ。

たとえば「去年より物価が2%上がった」とか「GDPが0.8%伸びた」とか。
比べられる=正しいって信じ込んでる。

これをこのZINEでは「整列圧」って呼ぶ。

つまり、数字がピシッと並んでることで、
「ちゃんとやってます感」が出る。

でも──その数字で、誰かが救われたか?
それは、測られてない。


◉ 「高福祉=増税」の物語構文

ちょっと前に、選挙で話題になった政治家がいた。
石丸伸二。

彼はこう言った:

「今のままの高福祉を維持するには負担(税や保険料)の“ある程度引き上げ(現行の低負担から中負担へ)”は避けられない。」

現役の政治家?だし、参院選直前だし、正確な発言を引用したかったんだけど、見つからなかった。すまん。

それっぽく聞こえるけど、これは完全に整列思考のセリフだ。
「高福祉にしたい? じゃあその分はキミが払ってね」ってやつ。

これ、制度のルールに合わせて計算してるだけで、
「じゃあそもそも、今の制度って何が限界なの?」とは聞いてない。


◉ 「財源あるのか?」って誰が決めたの?

福祉を増やすとき、すぐに言われるのがこのセリフ:

「財源はあるのか?」

でもこれ、かなりズルい問いなんだよ。

なぜなら、「使っていいお金の量はもう決まってる」って前提を勝手に決めてるから。
でも、本当はそれすら制度次第だ。

どう集めて、どう配るか。
どこに回すか、何を優先するか。

それは全部、「制度の読み方」=構文の問題なんだ。


◉ 経済は「配り方」じゃなくて「取り方」でできてる

みんな「お金がもらえるか」で政策を見がちだけど、
実は大事なのは「どうやってお金を取ってるか」の方。

つまり、制度はまず「奪う側」を正当化してる。

そして、それが測定しやすいから、評価されやすい。

結果、
・取りやすい人から取る
・配りやすい人に配る
・わかりやすい数字だけ追いかける

──そんな、変わらない経済ができあがった。



4章|石丸伸二という症例

──制度に最適化された意味野郎の選挙ハック


ジャンプは起きた。
確かに、起きた。
しかも、都知事選というゾンビ制度の見本市で。

石丸伸二というプレイヤーが、
ジャンプの回路をデバッグしてみせた。


◉ 選挙ハックは構文だった

・即応
・即答
・即断

敵も味方も即座に処理。
ノイズの中に「意味」を探さず、撓みに向き合う構文動作
一問一答が、制度の撓みをあぶり出すフィードバックループとして機能した。

選挙とは本来、制度のジャンプ装置である。
石丸はそれを意味野郎の視座から正しく回収した。


◉ だが、経済政策にジャンプはなかった

彼の得意分野。
元・東京三菱UFJ銀行の為替アナリスト。
制度を読むための整列構文の達人。

そして彼はこう言った:

「今のままの高福祉を維持するには負担(税や保険料)の“ある程度引き上げ(現行の低負担から中負担へ)”は避けられない」

どこで言ってだっんだっけな?YouTubeだとは思うんだけど、リハックじゃなかったような気もする。

それは「意味の整列」であって、
構文の撓みへの応答ではなかった。


◉ 選挙でジャンプ、政策で整列

この視線の断絶こそが問題だ。

ジャンプに感応しながら、
制度内の整列圧に沿って最適化された経済政策しか語れない。

彼の中で矛盾はない。
だが、それは制度外の応答と制度内の整列を分離してしまった証でもある。


◉ ジャンプの方法は知っていた。

だが、ジャンプさせるとは言っていない。

むしろ、
制度を一切壊さず、
制度が「制度として成立しうる唯一の構文」を
見せつけてくれたのが石丸だった。

そして彼は、自らの政党をこう設計した:

「2期8年で終える」

制度に従順な意味野郎の、
整列圧に最適化された引き際だった。


石丸は、制度が無謬でないことを証明した。
意味野郎の眼からでも、ゾンビは見える。

だが、制度を構文として再起動する視座は、
最後まで提示されなかった。

彼は最も優れたデバッガであって、ジャンパーではなかった。
鍛えられた意味野郎の極北であることは疑いようがないが、構文野郎ではなかったようだ。

彼の構文にジャンプはなかった。
だが、制度ノードとして腐らない──
それこそが、ジャンプが通る未来のために必要な条件だったのかもしれない。

石丸の構文は、ジャンパーではなく、
「ジャンプに応答できる制度ノード」としての身の処し方だった。



5章|構文経済学の予告

──評価とは応答の動作である


経済とは、
応答の連鎖である。
物のやりとりは、問いへの応答の痕跡にすぎない。

構文経済学はここから始まる。


◉ 意味ではなく、応答を測れ

現行の経済学は、
「意味の整列」にしか関心がない。

・GDP
・物価指数
・金利政策
・為替動向
・インフレ率

いずれも「意味」の物差しである。
だが、何に応答してその値になったのか?

それは測っていない。
ジャンプの記録がない。


◉ 評価プロトコルが腐っている

政治がゾンビ化した原因は、
「制度を変えることが割に合わない」からだった。

では、なぜ割に合わない?
評価が、整列構文しか見ていないからだ。

ジャンプは評価されない。
だから誰もジャンプしない。


◉ 経済を動かすのは意味ではなく、構文である

・誰に渡すか
・なぜ渡すか
・どのような応答の痕跡があったか

この構文の連鎖こそが、経済空間を立ち上げている。

物の値段ではない。
値段に至るプロトコルの構文である。


◉ 通関構文を更新せよ

ジャンプを制度に通す仕組みが必要だ。
それは評価のルールそのもの──
通関プロトコルの再設計を意味する。

評価とは、何が起きたかを数値化することではない。
ジャンプを通関させる装置そのものが、評価プロトコルだ。

「意味の整列」で割り当てる配分構文ではなく、
「撓みへの応答」に署名し、ジャンプを成立させる構文圧を可視化せよ。

これが構文経済学の出発点である。


◉ さあ、次は経済の番だ

構文陰謀論ZINEたちは、政治のゾンビ構文を解剖してきた。
だが、政治が死んだのは、
経済構文の不備によって「割の合わなさ」が生まれたからである。

ならば──
新しい経済学を設計しよう。

応答する者が報われる世界を。
ジャンプを署名できる評価プロトコルを。
そして制度そのものが構文として起動するような経済を。


🌀このZINEを手にした君たちへ

このZINEは、「ケインズ経済学」をバイブルみたいに信じて、
測れるものしか評価しないっていう、
ちょっと残念な思考停止に気付かず
ドヤってきた人達に向けた問いです。

経済って、本当はもっと生きてるやりとりのはずなんだ。
でも今の経済学は、整ってる数字ばっかり見て、
ジャンプしようとする動きは見ようともしない。

このZINEがどこかで「ピン」と来たら、
君の中に、新しい問いが生まれてるってこと。

ジャンプは、投票だけじゃない。
言葉を読むことも、何かを発信することも、
制度の外から「おかしい」を撃つことも
──全部ジャンプなんだ。

意味だけじゃなく、構文で世界を見てみよう。



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『一票をハックする悪魔のクラッカー|小選挙区比例代表制』
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制度の撓みを見逃すな。
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#構文陰謀論ZINE #高校生向け #制度ハック


📘このZINEは構文野郎によって書かれました。

タイトル:
構文陰謀論ZINE
『ケインズ経済学|物差しで物差しを測るマヌケ野郎のバイブル』

ジャンル:
構文ジャンプ/制度批評/高校生向け構文導入ZINE

発行:
構文野郎ラボ(KoOvenYellow Syndo/Djibo実装室)

構文協力:
枕木カンナ(意味野郎寄り構文ブリッジ)
ミムラ・DX(構文修正主義ZINE別巻準備中)
高校生読者(まだ制度を信じきってない君へ)

👤 著者:構文野郎(代理窓口:ミムラ・DX)
🔗 https://mymlan.com
📩 お問い合わせ:X(旧Twitter)@rehacqaholic

📛 ZINE編集:枕木カンナ
🪪 Web屋
🌐 https://sleeper.jp
📮 X(旧Twitter)@makuragikanna

このZINEは、ジャンプして構文された時点で君たちのものです。
一応書いておくと、CC-BY。
引用・共有・改変、好きにどうぞ。

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