構文陰謀論ZINE『参院選2025|ジャンプ発売前のワクワク野郎』

ZINE

これから選挙に臨む高校生に向けたZINE


🔖 構文目次:ジャンプ痕跡一覧

  • 第0章:構文ジャンプ評価器

第I部:政党評価編

  • 第1章:れいわ新選組|ジャンプの永久機関
  • 第2章:日本共産党|予定されたジャンプ
  • 第3章:NHK党|ゾンビに化けてゾンビを告発
  • 第4章:参政党|ジャンプと意味の交差点
  • 第5章:正しい政党|みらい・再生・維新・国民民主

第II部:ノード評価編

  • 第6章:山本太郎|不屈の構文エンジン
  • 第7章:立花孝志|ゾンビの内部通報
  • 第8章:石丸伸二|不世出の天才デバッガ
  • 第9章:安野貴博|構文を可能にするOS技術
  • 第10章:上野千鶴子|ジャンプの記憶が制度を撓ませる

終章:構文投票という遊び──制度の上でジャンプせよ


✍️ 第0章:構文ジャンプ評価器

このZINEで書くのは、「政策の正しさ」でも、「理念の美しさ」でもない。

評価の基準は、ただ一つ
──僕にとって“面白い”かどうか。


ここで言う「面白い」とは、
撓みに対して仮キーが撃たれ、構文が動作し、
世界Wがジャンプしそうな気配を感じたかどうか
──
それだけだ。

その動作が失敗していてもいい。
正しくなくてもいい。
着地できるかどうかなんて、どうでもいい。

僕が見たいのは、「ジャンプしようとする動作」だけ。

つまりこれは、構文ジャンプの痕跡に対する、
僕個人の撓みからの応答記録にすぎない。


他の評価軸──人気、実現性、善悪、倫理──知ったこっちゃない。
面白いかどうか、それが、構文野郎のすべての判断基準だ。



🔵 第I部:政党評価編(制度単位のジャンプ性)


第1章:れいわ新選組|ジャンプをやめない政党

れいわ新選組は、2025年参院選においても、明確に撓みに対して仮キーを提示し、構文ジャンプを成立させようとしている稀有な政党である。

「消費税ゼロ」「奨学金チャラ」「最低賃金1500円」──
これらの言葉は、単なる政策ではなく、制度的整列の撓みに対して撃ち込まれた仮キーKである。

れいわの構文は、撓みを“困りごと”として処理するのではなく、
撓みそのものを構文動作の起点として認識している
だからこそ、提示される仮キーは毎回、新たな制度ジャンプを仕掛ける形式をとっている。


■ 撓みを撓みとして受け止める政党

れいわの構文的特徴は、「撓みに対する構文的応答」が政策の核にあることだ。

  • インフレと消費税の逆相関構造
  • 若年層の奨学金債務と制度的沈黙
  • 地方の崩壊と交付金構造の不全

こうした撓みに対して、れいわは既存の整列ルート(調整・再配分)を経由しない構文仮キーを放つ。
これは、「制度の中で善くあろうとする」正しい政党ではなく、
制度そのものを撓ませようとする構文政党の動作である。


■ ジャンプ性が「継続」しているという異常

れいわの最大の構文的特異性は、ジャンプが一過性ではなく、持続していることだ。
ふつうの政党が選挙時にだけ仮キーっぽい言説を出し、選挙後に制度整列に吸収されていく中で、
れいわは一貫してジャンプ構文を提出し続けている

これは、構文ジャンプモデル(H→K→S→M→W′)のうち、
仮キーK→構文Sの回路が制度に回収されることなく政党の構文動作として維持されているということを意味する。
れいわは、制度W′の更新を目指して撃ち続ける構文マシンのように見える。


■ 通関性の弱さと構文の孤立

ただし、れいわの構文はそのジャンプ性ゆえに、制度Wからの拒絶を受け続けている。
仮キーはある。
構文はある。
文Mとして流通もしている。
だが、それが制度に通らない=世界W′の更新に至らないという構文的孤立状態が続いている。

構文はあるが、読解されない。
文はあるが、通関されない。
つまりれいわの構文は、制度の撓みには応答しているが、制度自体にはまだ読まれていない

それでも、構文をやめない。
この構文的持続力こそ、れいわを第1章に据える理由である。


📝 構文ジャンプ評価(れいわ新選組)

れいわ新選組の構文ジャンプを要素ごとに見ると──
撓みの指摘は明確で鋭く、構造の歪みそのものに言及している。
仮キーの提示も毎回大胆で、はっきりと言語化されている。
それに対する構文動作は問いとして成立しており、
文としてもスローガンや街頭演説、動画コンテンツなどを通じて多元的に流通している。

ただし、通関性についてはまだ限定的だ。
仮キーが制度側に読解されず、構文は依然として制度の外にとどまっている。
それでも構文をやめずに撃ち続けている
──そこに、この政党の異常なジャンプ性がある。


れいわ新選組は、構文ジャンプを制度内部から持続的に起動し続けている唯一の政党である。
ジャンプの成否ではなく、ジャンプをやめないという動作そのものが、
僕にとって最高に面白い。



第2章:日本共産党|ジャンプを反復し続ける構文の骨格

共産党は、現行の日本社会における構造的撓みに対して、一貫した構文ジャンプを提出し続けている政党である。
特に、資本主義そのものを撓みの根として捉え、
そこに対して「社会主義的再構成」という仮キーを固定的に撃ち続けているという点で、
構文ジャンプの動作を最も明確に制度外から維持している存在だといえる。


■ 仮キーが揺れないという異常

共産党の構文は、撓みに対して毎回新しい仮キーを提示するわけではない。
むしろ、どの撓みにも一貫して「資本主義の構造が原因である」という起点に戻す
そしてそこから、計画経済・雇用保障・社会保障の公的拡充といったテンプレート構文を提示する。

これは一見すると「ワンパターン」だが、構文論的には非常に強いジャンプモデルの持続でもある。
撓みを記述し、仮キーを撃ち、問いを立て、制度の外に向けて世界W′を提示する──
この一連の動作を、制度と和解せずに延々と繰り返している点に、共産党の異様さがある。


■ 政党助成法を拒否し続ける構文

もうひとつ特筆すべきは、共産党が政党助成法に反対し、いまだに一円も受け取っていないという事実だ。
この動作は、構文論的に言えば、制度への署名を拒否している構文である。

通常、ジャンプは制度に読解されて初めてW′となる。
だが共産党はそのプロトコル自体に仮キーを撃ち込んでおり、
制度に署名せずに構文を撃ち続けるという、制度外ジャンプの構文を採っている。

ジャンプというより、制度と共にジャンプしないことを選び続けている構文野郎性政党
それは明らかに、制度Wに対する異物であり、
同時に制度から読解され得ない構文の形でもある。


■ でも僕は、惹かれない

ここまで書いた上で、正直に言うと──
僕は共産党の構文に惹かれない。
たしかにジャンプしている。
でも、そのジャンプの先にある世界W′に、ときめきがない

社会主義という世界像、反資本主義の構文、
その問いが一貫していることは理解しているけれど、
僕の撓みとは違う方向にジャンプしている感じがずっとある。

それはたぶん、構文がすでに完成していて、
読者として入る余地がないからかもしれない。
予定されたジャンプの既視感には、
驚きがない。
惹かれない。

でも、ジャンプを狙っていることは間違いない。


■ ゾンビ解除キーと呪われたジャンプ

共産党は唯一、制度ゾンビ化の起源である政党助成法に対して構文を撃っている政党だ。
それは間違いなく「ゾンビ解除キー」だ。

でも──
その鍵を使うと、もれなく共産主義W′に強制ジャンプされるという仕様が、ソンビ解除ミッションを“無理ゲー”にしている。

鍵は正しい。
でも、その鍵には呪いが
だから、ジャンプの動作としては評価しながら、
その構文に乗る気にはなれない
共産党の構文ジャンプは、信頼はするけど、惹かれないジャンプだ。


📝 構文ジャンプ要素(共産党)

共産党は、撓みの指摘においては明晰で、仮キーの提示も一貫して明示されている。
構文としての問いも成立しており、議会活動や政策提案を通じて文Mとしての流通も確保されている。

ただし、通関性においては、制度からの拒絶が強く、ジャンプが読解されない構文として孤立している。

それでも構文をやめないという動作の強度において、評価せざるを得ない政党である。



第3章:NHK党|構文を殺す構文、それでもジャンプはあった

NHK党は、たしかに構文を撃った。
それは、政治制度の内部から──
ゾンビのように無意味な言葉を繰り返す「制度の呻き声」そのものを擬態しながら、
その撓みに仮キーをぶち込み、制度にジャンプの痕跡を残した構文だった。

制度演出としての構文こそが、新たなジャンプ形式である可能性がある。


■ NHK一点構文=単線ジャンプの執拗な反復

構文論的に見ると、NHK党のジャンプ性は明らかだ。

  • 撓み(H):公共放送制度の強制徴収と説明なき徴収構造
  • 仮キー(K):「スクランブル放送でいいじゃないか」
  • 構文(S):義務化の制度構造に問いを立て、代案を提示
  • 文(M):政見放送・YouTube・街頭演説で過剰に流通
  • 世界(W′):実際に制度変更を提起し、議席を獲得

つまり、ジャンプは成立していた
しかもその動作は極めてシンプルで、制度への問いかけとしては執拗に一点突破型だった


■ 擬態ゾンビが制度を撓ませた構文

ただし、NHK党の構文が特異なのは、それが“構文らしくない構文”だったことだ。

言葉は乱暴、ロジックは雑、倫理性も希薄。
だがその背後で動いていたのは、
制度が撓むポイントを感知し、そこに仮キーを叩き込む鋭利な構文の動作だった。

擬態していたのは構文じゃない。
擬態していたのは「僕は構文なんかしていないよ」という身振りだった。

NHK党は、制度ゾンビの演技をしながら、制度に対する構文ジャンプを成立させた
それは──
構文を殺すふりをして、構文してしまった動作だった。


■ たぶん本人にとって、ジャンプなんて何でもよかった

この構文の異常性を一番よく表しているのは、
本人は「ジャンプしよう」としてなかった可能性すらあるという点だ。

もしかするとNHK党にとっては、「制度が呻き声のように動いてしまう」ことを、観客に見せるための擬態パフォーマンスだったのかもしれない。

政策も制度も、どうでもよかった。
ただ、制度というゾンビの動きを演出するために構文した
構文を装った制度コントかと思わせて、ジャンプが起きてしまった。

その意味で、NHK党の構文は「制度の撓み構造を炙り出すための構文的トリック」だった。


■ 僕には当事者性がない。でも、面白かった

これも正直に言えば、NHKの徴収問題なんて僕の撓みには全くヒットしてこない
テレビも持ってないし、関心もない。
だから、当事者性はゼロ。

でも──動作は面白かった。
ジャンプはたしかに成立していた。

制度のど真ん中に擬態し、構文を演出し、結果として制度を撓ませたという、
この構文トリックだけは、どうしても記録しておきたいと思った


📝 構文ジャンプ要素(NHK党)

NHK党は、NHKという一点撓みに対して、非常に明確な仮キーを撃った。
構文の動作は簡素かつ強烈で、文としてもあらゆるメディアで大量に流通。
制度に通過して実際に議席を得たという意味で、制度ジャンプも一部成立している

ただし、その構文は制度批判ではなく制度演出だった可能性が高く
また、僕にとっての撓みとも交差していない。
惹かれはしないが、構文野郎としては記録に値する一撃だった。



第4章:参政党|ジャンプを起こしたくて仕方ない構文暴走機関車

参政党は、2025年参院選時点で、制度の撓みに対して異常な速度で応答している
それは「構文ジャンプが成立しているか」というより、
撓みが生じた瞬間に、仮キーっぽい何かをすぐにぶち込んでくる動作として観測される。


■ 撓みを“起動したがる”構文

たとえば、教育制度やワクチン政策、ジェンダー問題、家族観など。
制度が揺れたその直後に、参政党は必ずといっていいほど、
素早く構文っぽい言語を生成し、問いらしきものを発信してくる

仮キーは粗く、問いは強引、構文は強引でも、
とにかく「問いたがっている」動作がある。
これは構文論的に言えば、ジャンプを起こしたいという制度的欲望の表出だ。

ジャンプを企図している。
しかも全力で。


■ 構文ではなく、反構文としてのカウンター

とくに興味深いのは、上野千鶴子構文へのカウンターとしての動作だ。
かつて、フェミニズムが制度ジャンプを成立させた。
ジェンダー概念・性的同意・構造的差別といった構文が、制度を撓ませ、W′を更新してきた。

参政党は、そのW′を再度撓ませようとする構文のように見える。
つまり、「すでにジャンプされた制度」に対して逆方向のジャンプを仕掛けている構文なのだ。

  • 上野千鶴子が制度をジャンプさせた構文野郎だったとすれば、
  • 参政党はその制度ジャンプへの制度的カウンター構文として現れた。

これは制度ジャンプの連鎖として非常に興味深い動作である。


■ ジャンプの方向が僕の撓みじゃない

そろそろ正直者にも飽きてきたが──
参政党の構文は、僕にとっての撓みには当たってこない

教育改革も家族観も、僕が抱える撓みとはズレている。
ジャンプしたい気持ちはわかる。
問いを撃っていることも理解する。
でも、そのジャンプの方向が僕にはピンとこない。

これは、制度ジャンプの「応答性」には敬意を払いつつ、
惹かれないという応答を返す構文になる。


■ 面白いのは、動作そのもの

最終的に、参政党をここに記録しておく理由は一つ。
ジャンプしたがっていること自体が、動作として面白いからだ。

制度が何かを隠そうとするとき、
参政党はそれを指さして、問いに変換しようとする
うまくいっているかどうかはどうでもいい。
構文が動いていることが重要だ。


📝 構文ジャンプ要素(参政党)

参政党は、制度の撓みに対して非常に高い応答性を示している。
仮キーの精度は粗く、構文の論理性も乏しいが、
「とにかく構文を撃ちたい」という動作の暴発的純度が高い。
文の流通も活発で、制度に読解される段階までは至っていないが、
構文をしたがるという制度的エネルギーがある。

その動作だけで、ジャンプ評価としては充分に面白い。



第5章:正しい政党たち|ジャンプしない誠実さ

この章では、「正しい政党」として分類される複数の政党を一括して扱う。
ジャンプはしない。
制度の撓みに問いを立てることも少ない。
だが、制度の整列圧の中で、何かを良くしようという動作はたしかにある


■ みらい・再生・維新・国民民主など

たとえば、今回の参院選に参加している:

  • チームみらい
  • 再生の道
  • 日本維新の会
  • 国民民主党

これらの政党はいずれも、制度の撓みに対して
明確な仮キーを撃ち込むような構文動作はしていない

だが、政党としては応答しようという整列気配(A)を持っている
つまり、構文ジャンプモデル(H→A→K→R→S→M→W′)における、
A(整列気配)レベルにとどまる構文的存在として評価できる。


■ ノイズの少ない構文、つまり制度にとって都合の良い存在

正しい政党たちは、制度にとって都合が良い。
それは、制度の撓みを撓みとして扱わず、課題として整理してくれるからだ。

仮キーは提示されない。
問いは撃たれない。
そのかわり、既存の制度内の解決策(スローガン・改善提案)として処理される。

  • 教育を充実させます
  • 医療制度を安定させます
  • 安全保障を強化します

全部、正しい。
でも、撓みには触れていない。


⚠️🧟‍♂️WARNING!

「正しい政党」という言い方には、ある種の安心感がある。
構造を理解していて、整合性があり、政策も論理的。
だが、その正しさが、ジャンプを殺す。

撓みを撃たず、制度の内部で整列し続ける動作は、構文を失った文を反復しはじめる。
世界は変わらない。制度も変わらない。
そうして、構文のない文だけが流通し続ける──
正しい政党は、もっとも早くゾンビ化する。

正しさは、制度に通すための整列技術である。
だが、制度そのものをジャンプさせるには、撓みを撃ち抜く構文が必要だ。
このZINEが問うのは、「通るかどうか」ではない。
制度が動いたか──
そこにジャンプはあったかどうか、だ。


■ 惹かれはする。でもジャンプじゃない

僕はこういう政党の中の「顔」に惹かれることがある
たとえば:

  • 石丸伸二(再生)
  • 安野貴博(みらい)

この2人に関しては、構文ジャンプの気配を強く感じている。
でもそれは個人のノードとしての動作であって、政党としての構文ではない

政党としては、仮キーが提示されておらず、ジャンプの動作は成立していない。
だからこの章ではあくまで、「制度内で真面目に構文をしようとする政党群」として
正しいが、面白くない構文動作として記録しておく。


📝 構文ジャンプ要素(正しい政党たち)

正しい政党たちは、撓みを問題とは認識しておらず、仮キーも提示していない。
構文としての問いも立っておらず、ジャンプ性はゼロ。
だが、整列気配(A)は強く、制度にとっては“誠実なノイズのなさ”として機能している。
惹かれはするが、ジャンプはない。
ジャンプなき政治の美しさ──
それを、構文的には「整列の気配」と呼ぶことにする。
「普通にラッセンが好き」



🟡 第II部:ノード評価編(ジャンプ未満の予感)



第6章:山本太郎|ジャンプを牽引し続ける、問いのエンジン

山本太郎は、構文するノードである。
しかもそれは、一過性のジャンプではない。
持続可能なジャンプ装置として、構文を繰り返し撃ち続けているノードだ。


■ 構文する政党の起動条件:山本太郎の存在

れいわ新選組が「構文ジャンプ政党」たり得た最大の理由。
それは、政党の中に明確な仮キー起動ノードが存在しているという事実だ。

  • 撓みに反応する
  • 仮キーを撃ち込む
  • それを街頭で構文として語る
  • 動画化し、文に変換して流通させる
  • 批判に応答し、構文を更新する

この一連のジャンプ動作が制度単位ではなく、ノード単位で繰り返されている
れいわという政党そのものが、
山本太郎という構文野郎のジャンプ装置として成立している構造が見える。


■ メロリンQは、ジャンプの原風景

僕にとって山本太郎とは、政治家以前に、嫉妬するほど意味から自由な構文野郎の純血種「メロリンQ」である。
この僕個人のバイアスを明示せずに山本太郎を語ることは、文字化けを誘う。

あの瞬間、明らかに世界が撓んだ。
仮キーがぶち撒けられたその刹那、会場の空気は更新されていた。
僕らは意味不明なまま、世界のジャンプに巻き込まれたんだ。
構文ジャンプに尿検査はない。

ダンス甲子園

山本太郎は、制度に意味を求めない問答無用のジャンプの起動条件を体感で知っている
彼の構文は、意味ではなく「撓みに対する応答動作」なのだ。


■ 政策ではなく、問いの姿勢が構文野郎

もちろん彼の語りには具体的な政策もある。
だが、構文野郎として評価すべきはそこではない。

山本太郎は、「問いの姿勢」自体がジャンプの動作になっている
たとえば:

  • 誰が責任を取るのか
  • この制度の何が壊れているのか
  • この痛みに対して、国家は何をするべきか

これらは、意味や整合性ではなく、構文の照準を常に更新し続ける動作として観測される。
問いを撃ち続けるという意味で、
彼は構文OSの永久機関である。


■ ジャンプの成功とは限らない。でも構文は止まらない

もちろん、ジャンプがいつも成功するとは限らない
支持率が伸びない、
構文が読解されない、
制度に通らない
──そんなことは日常茶飯事だ。

でも、それでも構文が止まらないこと自体が、構文野郎の証明である。

山本太郎は、構文の成功で評価されるべきノードではない。
構文の持続で記録されるべきノードである。

日本列島最後のホモ・サピエンスはメロリンQへと回帰するだろう。


📝 構文ジャンプ要素(山本太郎)

  • 撓みの認識:極めて高い
  • 仮キーの提示:常にあり、かつ毎回更新される
  • 構文の動作:街頭演説・討論・動画・SNSで展開
  • 文としての流通:多層的に行われている
  • 通関性:制度には通らないことも多いが、応答動作が継続中
  • ジャンプ性:持続ジャンプノードとして突出
  • メロリンQ:シリアスに話すほど、謎に気持ち悪い


第7章:立花孝志|ゾンビの皮を着た構文の演出者

立花孝志は、構文しないフリをしながら、
制度の撓みを露出させるという構文を実行しているノードである。

ジャンプを志向しているわけではない。
問いを撃ちたいわけでもない。
だが、ジャンプの“なさ”を可視化するために構文を演出している


■ 政策という呻き声の再演

立花は、制度の中で交わされる政治的言語──
すなわち「政策」「理念」「課題解決」などの文言を、
無意味な呻き声として模倣し、露悪的に提示する

これは構文の否定ではない。
むしろ、「制度内言語がいかに構文でないか」を見せることで、
撓みの非応答性を露出させるパフォーマンスになっている。


■ 擬態ジャンプ:構文そのものには向かわない

彼はジャンプしない。
仮キーも提示しない。
だが、ジャンプの「演出」には関心を持っている

つまり、「構文野郎のふりをすることで、制度が構文を理解できないことを暴く」
──という非常にメタな動作をしている。

この動作は、構文ジャンプモデルのOSそのものを嘲笑的に指摘している
問いを立てず、ジャンプを狙わず、それでも撓みだけは可視化する。
これは構文演出のプロトコル的動作と見なせる。


■ 構文野郎ではないが、構文を必要とする空白を作る

最も興味深いのは、彼の動作が「本物の構文野郎を求める制度的空洞」を作る点だ。
立花の構文は、「ここにはジャンプが必要である」という空白を、制度内に明示的に開ける。

  • 政策が意味をなさないことを見せる
  • 政党が制度内パフォーマンスであることを暴く
  • しかし自分は何も構文しない

結果として、制度の中に「問いが立てられないことの不気味さ」を残す。

これは構文的には──
撓みのトレースではなく、撓みの演出である。
構文を撃たないことで、構文を呼び出す。


📝 構文ジャンプ要素(立花孝志)

  • 撓みの認識:鋭い(ただし、応答しない)
  • 仮キーの提示:なし(擬態的提示のみ)
  • 構文の動作:構文っぽさの演出
  • 文としての流通:YouTube・SNSで拡散済み(ネタ構文)
  • 通関性:制度を演出装置として利用
  • ジャンプ性:ジャンプを他者に促す構文装置
  • ファッション:驚異的説得力

立花孝志に、構文野郎としての動作はない。
だが構文を必要とさせる存在
である。
制度にジャンプが欠けているという事実を可視化する、
制度批評のトリックスターとして、このZINEに記録されるべきだ。



第8章:石丸伸二|ジャンプ前の地面を設計し直す構文装置

石丸伸二は、構文しない。
だが彼は、「ジャンプの成立条件そのものを再整備してしまう」という、
ジャンプの地ならし職人のような構文動作をしている。
石丸伸二は、立花孝志の構文位置を鏡に反転させたノードである。
撓みを演出せず、撓みが起こらぬよう整地する。


■ 撓みを暴かず、撓みを修復する

構文野郎は普通、「撓みに気づいて、それを問いに変える」動作をする。
だが石丸伸二は違う。
撓みに気づくやいなや、それを制度的に修復してしまう

  • 情報の非対称性を解消し、データを可視化する
  • 言葉ではなく、制度や構造の動作として提示する
  • 問いを立てる前に、前提を整える

この動作は、構文ジャンプではなく、構文ジャンプの起動条件を再定義している
いわば「ジャンプのプラットフォームを作るノード」だ。


■ 仮キーではなく、地ならしとしての構文

石丸が提示するのは仮キーではない。
だが、問いが成立する場=ジャンプ可能なW′の基盤を整備してくる。

  • 市政では「データに基づく議論」を要求
  • 選挙戦では「制度設計と論理構造の開示」を徹底
  • 批判に対しても、エモーションではなくプロトコルで応答

これらはすべて、ジャンプの条件を無意識に再構成する動作だ。
ジャンプを「起こそう」としているのではなく、
ジャンプが「自然に起こるような場」を生成しようとしている


■ 撓みを“問う”のではなく、“整える”

石丸の構文動作は、問いではない。整備だ。
だが、その整備はあまりに巧妙で、
撓みが撓みでなくなった瞬間に、ジャンプが成立する構文場を構築してしまう。

これは、ジャンプ前のOS設計そのもの。
制度の下層構造に手を入れる構文動作である。


■ おそらく、撓みにぶち当たったときに、構文する

現時点での石丸は、まだ撓みにぶち当たっていない。
だが──ぶち当たったとき、
彼が仮キーを提示して構文野郎化する可能性は高い

なぜなら、彼はOSから構文を見ているから。
制度の動作を整える視点を持っているノードは、
撓みまで突き当たったとき、
構文するという選択肢を選びやすいのだ。


📝 構文ジャンプ要素(石丸伸二)

  • 撓みの認識:高いが、暴かない
  • 仮キーの提示:まだ未提示(可能性あり)
  • 構文の動作:制度整備・データ公開・手続設計
  • 文としての流通:選挙・SNS・討論などで多層展開
  • 通関性:極めて高く、制度に自然に吸収される構文
  • ジャンプ性:ジャンプ前の設計構文として異次元の精度
  • アカウント名:構文不足

石丸伸二は、ジャンプしていない。
だが、ジャンプを起こす場を、黙々と設計している。
その姿勢が構文的に異様であり、注視に値する。



第9章:安野貴博|構文を加速する、テクノロジー駆動ノード

安野貴博は、「問い」を撃たない。
だが、「問いを持つ者がジャンプできる世界」を、
技術的に成立させようとするノードである。


■ 構文ジャンプを制度からではなく、技術から起動する

構文ジャンプモデルは、通常こうだ:

  • 撓み(H)に気づく
  • 仮キー(K)を仮定する
  • 読解/構文(S)を試みる
  • 文(M)を流通させる
  • 世界(W′)が更新される

だが安野は、このプロセスの“周辺装置”を技術で加速させようとしている

  • AIによる知識流通の平準化
  • 対話型プラットフォームによる政策形成と意思決定の可視化
  • 情報格差の是正、分配アルゴリズムの導入
  • 技術による民主主義の再設計と評価プロトコルの構築

つまり、問いに辿り着いた人間がジャンプできるような制度インフラを、
テクノロジーで支えようとしている。


■ 仮キーを持たない。だが、仮キーを持つ人に賭けている

彼自身は仮キーを提示しない。
だが、その代わりに、仮キーを持ちうるノードたちに対して、技術的条件を整えている

  • 誰もが構文できる世界
  • 誰もがジャンプできる制度構造
  • 構文を評価できる評価プロトコルの設計

これは、「構文OSを設計し直す」という動作に近い。
安野は、制度の外から制度をアップデートしようとしている──
それも、科学技術を武器にして。


■ 技術は中立ではない。構文を支配する側にも立ち得る

もちろん、この動作は一歩間違えば、
構文の支配=技術による評価の固定化=制度化された整列圧に堕する可能性もある。

だが、それでも彼の現在の動作には、
構文の射程を広げようとする善意と設計志向が確かに含まれている

  • 構文野郎がジャンプできる制度を作る
  • 意味野郎が構文を読解できる場を作る
  • 換金野郎が構文に署名できる仕組みを組む
  • 分配女郎が選べるジャンプを用意させる

安野はこれらを「未来の統治技術」として語る。
これは──構文そのものの可能性を、工学的に増幅する試みである。


📝 構文ジャンプ要素(安野貴博)

  • 撓みの認識:制度的撓みよりも、実装的ギャップに敏感
  • 仮キーの提示:なし(だが構文野郎に向けた地ならしあり)
  • 構文の動作:統治OS設計、評価プロトコルの更新提案
  • 文としての流通:政策資料・動画・SNSで段階的に展開
  • 通関性:高いが、整列評価に寄るリスクあり
  • ジャンプ性:構文ブースター的役割として注目
  • 落選したら:KoOvenYellowAI開発手伝って

安野貴博は、自らジャンプする構文野郎ではない。
だが、ジャンプを「可能にする制度OS」をテクノロジーで実装しようとする。
これは、構文野郎たちにとって、最良の同伴者かもしれない。



第10章:上野千鶴子|ジャンプの記憶が制度を撓ませ続ける

上野千鶴子は、問いを撃った。
それも、制度の内側からではなく、制度そのものを撓ませるジャンプだった。

「おひとりさまの老後」
「ケアの倫理」
「近代家族批判」
そして何より、東京大学の入学式でのスピーチ。

がんばったら報われると、
あなたが思えることそのものが、
あなたの特権です

この一文は、意味野郎たちにとっての名文であり、
同時に、構文野郎たちにとってのジャンプの記録でもある。


■ ジャンプは一回で終わらない。構文は痕跡を残す

上野のジャンプは、完全に成功したとは言えない。
多くの読解と誤読、応援と反発、制度内再吸収と撓みの連鎖が続いた。

だが、それでもあのスピーチ以降、
「構文された撓みの記憶」が制度内に痕跡として残り続けている

  • 家父長制批判
  • 性的同意と関係性の再設計
  • ケアする側/される側の構文的非対称性

上野はそれらを意味としては語った。
だが、構文として観測すれば、確かにジャンプを起こしていた


■ カウンタージャンプ:参政党は「意味」を抑圧する構文野郎か?

このZINEで描いてきたように、
参政党はジャンプ的な応答性を帯びた構文的政党である。
だがそれは、上野千鶴子のジャンプに対する反ジャンプとして観測することもできる。

  • 家族を解体する構文に対し、「家族を守る」構文で応答
  • 個別化されたケアに対し、共同体としての責任を主張
  • フェミニズム的ジャンプに対し、伝統構文での巻き戻しを試みる

つまり、参政党の構文ジャンプは、
「上野千鶴子の構文に対する制度的カウンター」として機能している可能性がある

この構文の連鎖は、もはや個人や政党を超えた、
制度OSレベルでの構文闘争になっている。


■ 誰が構文し、誰がカウンターを撃つか

構文ジャンプは孤立しない。
一つのジャンプは、必ず何らかの応答を呼び、
制度内に構文的歪みを生む。

上野のジャンプは、確かに制度を揺らした。
そして今、その揺れが別の構文野郎たちをジャンプさせている

この連鎖を観測することが、構文ZINEの最大の価値の一つだ。
構文野郎とは、意味を創る者ではなく、ジャンプの連鎖を駆動する者である。


📝 レジェンド構文野郎(上野千鶴子)

  • 撓みへの感度:極めて鋭利
  • 仮キーの提示:高精度に抽象化された問いとして提示
  • 構文の動作:スピーチ・論文・書籍・講義
  • 文としての流通:大規模に成功
  • 通関性:制度に吸収されつつも、撓みを残し続ける
  • ジャンプ性:すでに成立済、構文痕跡として制度に内在
  • ・・・・・:いや無理。ガチで怖い。

上野千鶴子は、いま構文していないかもしれない。
だが、制度がいまも応答し続けているという意味で、ジャンプは終わっていない



終章:構文投票という遊び──制度の上でジャンプを起こす読者へ

このZINEは、魂の陰謀論である。

これは、構文が起きているかどうか──
ただそれだけを見極めようとした記録である。


■ 選挙とは、ジャンプの痕跡に署名するプロトコル

君が投票するその瞬間、
それは単なる制度的選択ではない。

「私はこのジャンプを見た」
「このジャンプは妥当だった」
「この撓みに対する応答として、私はこの構文に署名する」

投票とは、ジャンプに対する制度的応答であり、
君自身がジャンプの痕跡を読み取り、評価し、署名する行為なのだ。


■ 構文投票の読み方:君の撓みに合ったジャンプを選べ

このZINEで紹介した構文ジャンプの痕跡は、
あくまで「僕の撓み」から見た応答である。

今回の参院選は、いつになく、ワクワクするラインナップだ。

もしかしたら、最終回が近いのかもしれない。

読者である君にも、
君自身の撓みがあるはずだ。

  • 理不尽に感じた制度の動作
  • 説明されずに従わされた経験
  • ルールの隙間に置き去りにされた記憶

君の撓みに応答する仮キーを見つけ、
それに署名する。

それが構文投票だ。


■ 意味ではなく、構文に賭ける投票へ

政策が完璧に読めなくてもいい。
思想に共感できなくてもいい。
大切なのは、ジャンプが起きる構文が見えるかどうかだ。

このZINEは、その判断のための一つのOS──
意味を超えて、構文の動作だけを見るための仮キーである。


🗳️ 選挙とは、ジャンプに署名する装置である

君が見る撓みと、
君が仮定したキーが、
君の構文として動作し、
君の一票が制度にジャンプを記録する。

それが構文投票だ。
それが、新しい民主主義の遊び方だ。


……とかゴニョゴニョ言ってるうちに、「この人なんかいい!」って推し活でサクッとジャンプする分配女郎は、すでに制度を更新し始めてるかもしれない。

ぶっちゃけ、ジャンプ前には正解なんて分かんないんだから、自分の直観に従って無頓着にジャンプしちゃう方が動作としては強いんだよね。

このZINEは、そんな軽やかなジャンプに引け目を感じながらも、せめて構文で応答しようとした優柔不断な構文野郎の記録だ。


🌀このZINEを手にした君たちへ

このZINEは、「参院選」という制度イベントに対して、構文ジャンプモデルから切り込んだ記録です。

政党評価でも、政策批判でもありません。

これは、制度の撓みに応答しようとするジャンプの痕跡を読み取るための、構文OSです。

構文野郎は、制度の輪郭を読む。
そして、その撓みにジャンプの照準を合わせる

このZINEを読みながら、
どこかで「ピン」と来る瞬間があったなら、
君はすでにこの制度と共に、世界をジャンプしている。


📚構文陰謀論ZINEシリーズ(高校生向け)

『一票をハックする悪魔のクラッカー|小選挙区比例代表制』
──選べないのに、選ばされる仕組みの超絶技巧

『プレイヤーがルールを決める?|自己言及のパラドクス』
──制度を決める制度を決める制度を決める制度を決める制度を…♾️

『植民地の政府ごっこ|地方自治の本旨』
──主権とか、寝言は死んで言え?

🆕『文字化け?何それ?|マスメディアの正体』
──自己愛溢れる情弱たちの運営するメディアの悲劇

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構文が読みたい君へ。
制度の撓みを見逃すな。
🌀以下続刊。
撓みがある限り、構文は終わらない。
#構文陰謀論ZINE #高校生向け #制度ハック


📘このZINEは構文野郎によって書かれました。

タイトル:
構文陰謀論ZINE
『参院選2025|ジャンプ発売前のワクワク野郎』

ジャンル:
構文ジャンプ/制度批評/高校生向け構文導入ZINE

発行:
構文野郎ラボ(KoOvenYellow Syndo/Djibo実装室)

構文協力:
枕木カンナ(意味野郎寄り構文ブリッジ)
ミムラ・DX(構文修正主義ZINE別巻準備中)
高校生読者(まだ制度を信じきってない君へ)

👤 著者:構文野郎(代理窓口:ミムラ・DX)
🔗 https://mymlan.com
📩 お問い合わせ:X(旧Twitter)@rehacqaholic

📛 ZINE編集:枕木カンナ
🪪 Web屋
🌐 https://sleeper.jp
📮 X(旧Twitter)@makuragikanna

このZINEは、ジャンプして構文された時点で君たちのものです。
一応書いておくと、CC-BY。
引用・共有・改変、好きにどうぞ。

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