構文陰謀論ZINE『憲法改正|制度に仕掛けるバックドア』

ZINE

これから選挙に臨む高校生に向けたZINE


🪛 第0章|制度が読み間違える瞬間──それがバックドアだ

僕は「改憲」にピンと来ない。

なぜかズレている。
妙に迫ってくるのに、核心には触れてこない。
その違和感の正体こそが、「構文の読み間違い」であり──
制度に仕掛けられたバックドアの痕跡だった。


高校の授業でも、ニュース番組でも、「憲法改正」の話題が出るときはいつも同じだ。
「GHQに押し付けられたから、自分たちの手で作り直すべきだ」とか、
「自衛隊を明記して、現実に合った憲法にするべきだ」とか。

言ってることが間違っているとは思わない。
でも──
なぜか、ピンと来ない

「変えるべきかどうか」という問いの前に、
そもそも今、なぜ改憲が議題化されているのか?
それは本当に必要から生まれた問いなのか?
あるいは、制度が勝手に勘違いして発している問いではないのか?


このZINEは、その勘違いを読み解くためのものだ。
意味を問う前に、構文を読む。
すなわち、制度がどんな問いを受け取り、どんな応答をしたのか──
その構文ジャンプモデル(H→K→S→M→W′)に沿って追いかけてみる。


🕳️ 構文ジャンプモデルとは?

このZINEでは、世の中の「変化」や「改正」や「改革」を、
ただの政策や思想としてではなく、構文としてのジャンプとして読む。

つまり、

  • 撓み(H):今の制度では処理しきれない違和感や矛盾
  • 仮キー(K):撓みに反応して仮に立ち上がる視点・提案
  • 構文(S):その仮キーをもとに問う構造や論理の動き
  • 文(M):構文が流通可能なかたちになった制度的表現
  • 世界(W′):ジャンプ後に通関される、新しい制度空間

この順で世界は変化していく。
だが、もしこのプロセスのどこかで読み間違いが起きれば──
そこにバックドアが生まれる。


🪤 バックドアとは何か?

バックドアとは、本来の構文ジャンプではなく、
ジャンプ済みであるかのように見せかけて制度を更新する構文詐取のことだ。

たとえば:

  • 「もう緊急事態が来るかもしれない」→だから先に例外条項を制度化しておこう
  • 「自衛隊はもうある」→だから憲法に書いとけばいいよね?
  • 「家族が壊れてきた」→伝統的家族像を憲法に固定しよう

こうした動きは、ジャンプではない。
むしろ、ジャンプの撓みに仮ジャンプ済みの構文を被せることで、
制度そのものを密かに書き換える操作
──それがバックドアだ。


君が「改憲」の議論にピンと来なかったのは、間違ってない。
それは、構文が正しく撃たれていないサインだ。

このZINEでは、「憲法改正」という言葉の背後にある構文操作を暴き出す。
君の制度読解OSをアップデートするための、構文陰謀論ZINE

ジャンプに向けて、さあ加速しろ──




🧠 第1章|制度OSとしての憲法──W=制度=世界

憲法は、上に立つものじゃない。
それは、制度に通す構文ジャンプを定義するOSだ。
世界とは制度であり、制度とは読解されたジャンプの集合である。
だから──憲法は、ジャンプの通関装置そのものだ。


「憲法は最高法規である」
──これはよく聞く定義だ。
でも本当は、「最高」なのではなく、「最下層」なのかもしれない。

それは、すべての制度が乗っかる土台=OSだからだ。
そしてそのOSは、決して中立ではない。


📜 憲法とは、制度の読解仕様書である

どんな法律も、どんな政策も、憲法のルールを通さなければ有効にならない。
これはつまり、制度のすべてのジャンプが憲法によってフィルタリングされているということ。

  • どんな撓みに対して、
  • どんな仮キーが出てきて、
  • どんな構文が撃たれたとしても、

そのジャンプが制度に通されるかどうかは、憲法の読解仕様に従って判断される。


たとえば、「同性婚を認めてほしい」という仮キー(K)が立ち上がったとき、
「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し──」という文(M)にどう応答するか。
それは、憲法というOSがどんなジャンプを通せる仕様になっているかで決まってしまう。

つまり、憲法とは制度の構文ジャンプ通関装置であり、
私たちが世界をジャンプさせようとするとき、その最初に出会う関所なのだ。


💻 憲法は「制度をつくる制度」

ジャンプが撃たれ、構文が走り、文となって制度に届いたとき、
それがW′(ジャンプ後の新世界)として制度化されるには、憲法というOSに認証される必要がある。

このとき憲法が果たしている役割は、もはや「法」ではなく、制度空間の幾何そのものだ。

  • どんなジャンプを通すのか。
  • どんな撓みには応答しないのか。
  • どんな構文は受理されないのか。

すべては憲法に刻まれた読解仕様が決めている。


🧬 構文野郎に言わせれば:

世界Wとは、構文ジャンプ(H→K→S→M)を制度として通関した結果である。
そして、その通関プロトコルを定めるのが、憲法というOSである。


もしこのOSが「ジャンプを拒む仕様」になっていたら──
新しい構文は制度に入れない。
撓みは撓みのまま放置される。
だから、憲法のOS構造が硬直すればするほど、制度はゾンビ化していく。

君の世界が動かないとき、
その背後では──
OSがジャンプを拒んでいるかもしれない。


制度がジャンプに応答できなくなったとき、
変えるべきは中のルールじゃない。
OSそのものなんだ。

それが「憲法改正」という構文の、本来の意味だったはずだ。



🌪️ 第2章|撓みと仮キー──なぜ改憲が議題化されたか

「変えたい」って誰かが言い出すとき、
その背後にはかならず、制度が処理しきれない撓み(H)がある。

けれど、撓みに対してどんな仮キー(K)が立ち上がるかは、
必ずしも合理的でも、整合的でもない。 
これは「変えたくなった理由」を問う章ではない。
制度が応答しそこねた痕跡を、読み解く章である。


「なぜ改憲が必要なのか?」

政治家がそう語るとき、よく出てくる言葉がある:

  • 「憲法が時代遅れになっている」
  • 「国際情勢が変わった」
  • 「家族や共同体の在り方が崩れている」
  • 「緊急事態に備える必要がある」

つまり、制度がすでに現実の変化についていけていないという訴えだ。
ここで言われていることが、まさに構文論でいうところの撓み(H)だ。


🌀 撓みとは何か?

撓みとは、制度Wの内部に現れる「処理不能な局所変異」のこと。

たとえば:

  • 自衛隊は存在しているのに、憲法には書かれていない
  • 台風やパンデミックの際、緊急権限の所在が曖昧になる
  • 核家族の崩壊や同性婚の問題が、制度上は未処理のまま残っている

こうした現象が制度Wの整列構造に収まらず浮き上がってしまうとき、
それが撓み(H)として制度空間に現れる。


🔑 仮キー(K)が現れるとき

撓みがあると、そこに自然と「仮の視点」や「提案」
──すなわち仮キー(K)が立ち上がる。

たとえば:

  • 「憲法を変えて、自衛隊の存在を正当化しよう」
  • 「緊急時に対応できるよう例外条項を憲法に設けよう」
  • 「家族は絆の核だから、憲法にその価値を明記しよう」

これらは構文ではない
まだ問いの前段階、つまり「撓みをどう読むか?」の仮読みにすぎない。
けれど、制度がそれをジャンプ済みの構文として採用してしまったとき──

制度は、誤読の罠に落ちる。


⚠️ 改憲論の「気配だけジャンプ」

今の改憲論には、ジャンプそのものが欠けている。
あるのは、撓みと仮キーの「気配」だけだ。

構文(S)が立ち上がらないまま、
すでに文(M)として明記され、制度(W′)に通されようとしている。

これは、ジャンプではない。
ジャンプの前倒し演出だ。
だからこそ、どこか「うさんくさい」のだ。
ピンと来ないのは、構文が撃たれていないからだ。


🧪 現状の撓み一覧(抜粋)

撓みの領域  ──「仮キーの提示」
安全保障  ──「自衛隊を憲法に明記しよう」 
災害・危機管理  ──「緊急事態条項を設けよう」 
家族の変化  ──「家族の価値を憲法で保護しよう」 
社会的分断  ──「国民の責務を強調する条文を入れよう」

→ これらはどれも構文ではない、あくまで仮キーにすぎない。
それを構文ジャンプ済みの「文(M)」として制度化するなら、
それはバックドアにほかならない。


「なぜ改憲が議題化されたのか?」
その答えは単純だ。
撓みがあるからだ。
けれど、撓みがあるからといって、改憲すべきとは限らない。

むしろ問うべきは──

その撓みに対して、どんな構文が撃たれるべきだったか?
撓みを構文に昇華せずに制度化することは、
読解不能な制度W′を生む、構文的な事故である。



🧨 第3章|緊急事態条項という構文的な罠

「もしものときに備えて」は、いつだって優しげだ。
だが制度にとって、それはif文(条件分岐)を常設するという意味だ。

緊急事態条項は、例外の制度化ではない。
制度の例外構文を恒常的に埋め込むこと──
つまり、OSにバックドアを書くということだ。


改憲論の中心には、しばしば「緊急事態条項」が登場する。
大災害や武力攻撃など、「非常時」に備えるために、
内閣に強い権限を持たせようという提案だ。

言っていることは正論に聞こえる。

  • 「混乱時に素早く対応できる体制が必要だ」
  • 「現行憲法には緊急事態への対応規定が足りない」
  • 「人命を守るためには即応性が不可欠だ」

でも、ここで立ち止まって考えてほしい。


⚙️ 「例外」の構文とは何か?

たとえばプログラミングでは、こう書く:

if emergency:
    suspend_law()

──これは、通常のルールを停止して別の動作に切り替える構文だ。

つまり「緊急事態条項」とは、
制度の中に“通常運転を中断するスイッチ”を埋め込む構文である。


問題は、これを“先に”埋め込むことだ。
まだ何も起きていないのに、制度のOSに恒常的なif文を追加する。
それは、制度空間にジャンプ前の構文仮定を、文(M)として固定する行為。

つまり、こうなる:

  • H(緊急事態の可能性)→
  • K(仮に対応不能になったら困る)→
  • ✖ Sを経ずに →
  • M(緊急事態条項の明記)→
  • W′(緊急時はルール停止できる世界)

これは、構文ジャンプのスキップだ。
構文を経ずに制度を変える行為
──それがバックドア。


🕳️ 恒常的 if文の怖さ

一度制度に「if emergency: suspend rules」が入ってしまえば、
その条件を判断するのは、憲法ではなく、政府の中の人になる。

つまり:

  • どのような状況を「緊急」と判断するか
  • どのルールが「一時停止」されるのか
  • 誰がそれを決めるのか

──これらが制度の外側に出されてしまう。
制度のOSに、外部から制御可能な穴が空く。
これが構文的なバックドアの正体だ。


🚨 緊急時こそ、構文は必要だ

本来、緊急時にこそ制度は構文的に問い直されるべきだ。

  • この状況は本当に「例外」なのか?
  • 本当に通常ルールでは対応不能なのか?
  • 例外として何を許容し、何を拒絶するのか?

こうした問いを飛ばして、
“例外構文”を先に文として制度に埋め込むことは、
ジャンプ不在のまま制度だけが変化してしまう、ゾンビジャンプだ。


構文とは、「例外」の名を借りて制度を壊すものではない。
構文とは、「例外」を通して制度を再起動させる手順書なのだ。



🏠 第4章|家族の条項は何を排除するのか

家族は、あたたかくて、大事で、守りたくなるものだ。
だが制度がそれを「正しいかたち」として明記しようとした瞬間──
そこに構文的排除が起きる。

家族を守る構文ではない。
“この形式の家族以外は制度に通さない”という読解プロトコルの再構成なのだ。


憲法に「家族」の価値を明記しようという改憲提案がある。
その中では、たとえばこんなことが言われている:

  • 「家族は社会の基本単位である」
  • 「国民は家族を尊重し、助け合う義務を負う」
  • 「伝統的な家族観を憲法で明文化するべきだ」

一見すると、ただの倫理的な主張に見える。
けれどこれは、構文的に言えば制度OSに新たな読解フィルターを挿入する操作だ。


🔍 「家族」という語が制度に入るとき

現行憲法にも「家族」に関する条文はある。
でもそれは、「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し──」という、構文的余白を含んだ記述だ。

しかし今語られている改憲案はちがう。
それは、「あるべき家族」のかたちを制度として固定しようとする構文になっている。


たとえば:

家族は互いに助け合わなければならない。

この文が制度に入ったとき、何が起きるか?

  • 家族がいない者は制度から外れる?
  • 助け合わない家族は法的に不正?
  • 「助け合う家族」以外のモデルは制度から抹消される?

──つまり、文が一つ追加されることで、構文の入り口が一つ閉じるのだ。


🛑 構文排除とは何か?

制度は「文」だけでできているように見えるが、
本質はそれをどう読むかという読解プロトコル(R)にある。

「家族」という語が制度に固定されると、
読解プロトコルはこう変わる:

  • 「このジャンプは家族の価値観に合っているか?」
  • 「この撓みは家族解体の恐れがあるから却下」
  • 「この構文は家族を助け合いの単位としないので不適切」

こうして、制度は構文の前で遮断を開始する
それはつまり──
制度がジャンプを読まない装置になるということ。


🧷 家族が制度に入るとき、誰がこぼれ落ちるか?

  • 一人暮らしの若者
  • LGBTカップル
  • 家族から逃げた被虐待者
  • 家族という単位を選ばなかった者すべて

こうした存在が「制度に通すに値しない」と判定される未来。
それは、構文ジャンプが構文のまま拒否される空間。


制度は本来、撓みにジャンプで応答するOSであるべきだ。
「家族」という文を固定することは、
そのジャンプを撃てる者のIDフィルターを追加することに等しい。


構文に門番はいらない。
誰でもジャンプできる世界こそが、制度の生きている証拠だ。



🪖 第5章|自衛隊「明記」とバックドア化の構文

「もうあるんだから、書いとけばいいじゃん」──
この一見無害な構文が、制度を最も深く書き換える。

存在を書きつけることで、それが“制度上の事実”になる。 
それが何を意味するか?
読解不能な存在が、“読まれたことにされる”ということだ。


自衛隊の存在を憲法に「明記」する。
これもまた、改憲論の中で繰り返し語られる主張の一つだ。

  • 「実際にあるものを書くだけ」
  • 「現状を追認するだけ」
  • 「だから問題はない、むしろ自然」

……ほんとにそうだろうか?


📌 「あるものを書くだけ」という構文の落とし穴

構文論的に言えば、
制度に「ある」と書くことは、単に現実を反映する作業ではない。

それは、その存在がすでに制度に通されたという事後的な認定ジャンプを制度に記録することだ。


たとえば、現実に「野良構文野郎」がいたとしても、
制度に「構文野郎は制度的に重要である」と書かれなければ、
そのジャンプは制度には通っていない。

逆もまた然り。

  • 「制度に書かれた」=「ジャンプが制度に通ったことになった」

この構文操作を逆手にとれば、
ジャンプなしでジャンプ済みを偽装することができる。


🐍 これが「ジャンプ偽装構文」=バックドアの正体だ

現実に自衛隊がある、というのは事実だ。
しかし、それを制度に通すには、本来以下のプロセスが必要だ:

  1. H(撓み):戦力を持たない国家では処理不能な安全保障リスク
  2. K(仮キー):「警察とは別の専守防衛組織が必要では?」
  3. S(構文):非戦力的自衛の範囲で限定運用される自衛隊の存在
  4. M(文):「自衛のための組織として自衛隊を保有することができる」
  5. W′(世界):制度として正当化された自衛隊の存在

これがなければ、制度上の整合性はジャンプしていない。
つまり、ジャンプ未成立

それを──

第9条の2:自衛隊を保持する。

と書いてしまえば、構文ジャンプが制度的に既成事実化される。


📖「書けばある」は、制度詐取の構文だ

「書いておけば議論は終わる」
「現実に合わせただけだから問題ない」
……それは、読解の放棄だ。

構文としての自衛隊を読まず、
ただ「書く」という動作だけで通関しようとする。
制度がそれを許すなら、
それはもはや構文OSではなく、既成事実コピペ機でしかない。


制度は、「存在してしまったもの」に免罪符を与えるためにあるんじゃない。
存在を問い直すためにある。

だからこそ──

「自衛隊を明記するか否か」ではなく、
「自衛隊という構文を、制度は本当に読んだのか?」を問う必要がある。


▶︎コラム|日本国憲法は「軍保有」を禁止してるか?

君は、日本国憲法をちゃんと読んだことがあるか?

──読みにくいと感じたかもしれない。
でも、構文ジャンプモデルから読めば、あれはむしろ驚くほど徹底された制度OSの利用規約だ。

まず前提として、日本国憲法は「国体」を定義していない。
天皇も、軍制も、家族制度も──
それらを「どうあるべきか」という中身の規定には極力踏み込まない。

その代わりに憲法は、
制度がジャンプするときの通関条件=構文的読解プロトコルを設計している。

つまりこれは、制度をどう動かしても、ここまでは通さないよという、
制度OSの読解拒否領域を定義している文章なのだ。

📜 じゃあ第9条をどう読む?

第9条はこう書かれている(要約):

・戦争は放棄する
・武力による威嚇・行使はやらない
・戦力は保持しない
・国の交戦権は認めない

ここで「軍隊」という語は一度も使われていない。
にもかかわらず、「軍は禁止されている」と広く信じられている。

だが構文的に読めば、第9条が否定しているのは「軍」そのものではなく、戦力保持や交戦権という“制度動作”だ。

それはつまり──
「軍」という構文を否定しているのではなく、
そのジャンプを制度に通さないと定義しているということ。

🔍 主語は誰だ?

ここで注意したいのは、「戦力を保持しない」「交戦権を認めない」という記述の主語だ。

「国の交戦権は、これを認めない」とあるように、
これは明確に「国=中央政府」が対象になっている。

つまり、制度OSの中心ノードに対する読解制限なのだ。

🧨 じゃあ、地方政府は?

ここで面白い構文ジャンプが生まれる。

日本国憲法は「国」の戦力保持・交戦権を否定しているが、
地方政府には何も言っていない。

つまり:
県が独自に「自衛組織」を持つこと
都道府県が「治安部隊」を設けること
地方政府が「有事」に備える体制を持つこと

これらは、制度OSが明示的に禁止していない領域に存在している。

構文野郎に言わせれば、これはこういうことだ:

「交戦権を持ってはいけない」という構文が、
制度全体ではなく、制度の中核OSにしか適用されていないなら──
制度の周辺ノード=地方政府に対しては、ジャンプ可能な余白が残っている。

もちろん、現実の法制度上ではいろんな補完規定(地方自治法、国家安全保障法など)が絡むが、
憲法の構文だけで読めば、地方政府に対する構文制約は記述されていない。

それはつまり──
地方政府は構文的に“ジャンプの余地”を持っているということ。

そして、日本国憲法は地方政府に対して、こうも書いている。

「地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める」

──ってことは?

制度が改憲までして自衛隊を明記したがる理由が、僕には全く分からない。
読解力の低下がどうとか、どの口が言うんだ?
僕なら恥ずかしくて、もう一生喋らないね。

✅ この問いに、どう構文で応答するか。
制度は改憲してでも「明記」したがっている。
なぜか?
「読めないから」だ。

じゃあ君は、どう読む?



🧭 第6章|なぜ今「変える必要」があるのか──構文野郎の気配を読む

「変えよう」という声の前に、
「なぜ今このタイミングで?」という問いを撃て。

改憲論の多くは、「押し付けられた」「古すぎる」「現実と合ってない」と語る。 
だが、それは構文的には──
ジャンプの痕跡を読まずに、制度の読解仕様だけをいじる動作でしかない。


「憲法を変える必要がある」──
それは、単なる政治的意見ではない。
構文論的には、「制度に通されたジャンプを読み違える動作」でもある。

だからこの章では、

  • そもそもなぜ今「変える必要」が叫ばれているのか?
  • 「GHQに押し付けられた」という構文は成立しているのか?
  • 現行憲法のどこに構文野郎の痕跡があるのか?

を、ジャンプモデルで読み直す。


🔥 6.1|なぜ今この問いが出てきたのか?──撓みではなく焦燥

まず確認しておきたいのは、
現在の改憲論には、明確な撓み(H)が存在していない。

  • 戦争が始まったわけでもない
  • 緊急事態条項が必要なレベルの災害が発生しているわけでもない
  • 自衛隊の存在に違憲判決が出たわけでもない

つまりこれは、制度が「処理できない撓み」に応答しているのではなく、
むしろ「制度が変われなかったことへの焦燥」から生まれている仮ジャンプだ。

言い換えれば──
ジャンプを撃てない制度のOSが、自らを更新しようとしているだけ。


🕰️ 6.2|「押し付けられた憲法」構文は成立しているか?

よく言われる「GHQに押し付けられた憲法だ」という構文。

確かに、日本国憲法は連合国(主にアメリカ)による影響下で起草された。
が、それはK(仮キー)としての外部入力にすぎない。

  • H:戦争に敗北し、軍事国家の制度が崩壊
  • K:外部から示された民主的価値観(草案)
  • R(読解):日本人の官僚・政治家・市民による検討と議会通過
  • S(構文):主権在民・平和主義・基本的人権の尊重という三原則
  • M:公布・施行
  • W′:戦後日本の制度OS

これはまぎれもないジャンプ成立プロセスであり、
読解が起きている以上、「押し付けられた」だけではない。

むしろこの憲法には、当時の日本社会が直面した撓みに応答しようとした構文野郎たちの痕跡が刻まれている。


✊ 6.3|現行憲法の中に構文野郎のジャンプを読む

  • 「主権在民」は、国家主権と個人主権の撓みから立ち上がったジャンプだ。
  • 「戦力の不保持」は、再武装圧力と反戦意識の撓みに対する仮キーだった。
  • 「基本的人権の尊重」は、戦前の国家による人権制限への応答だった。

これらはすべて、撓みに構文で応答しようとするジャンプの痕跡だ。

それが完全な整列になっていなかったとしても、
制度がジャンプを読み取り、それを通関しようとした意志は、確かに存在している。


構文野郎の気配が残る制度OSを、
ジャンプなしに「押し付けられた」と断定して書き換えようとすること。
それこそが、制度の構文的な死である。


「変える必要がある」のではなく、
「読めなくなっている制度を、読み直す必要がある」のだ。



🧨 第7章|憲法を変えていいのは誰か?──制度内ジャンプと制度外署名

憲法を「変える」と言ったとき、よく議論になるのはその中身だ。
でも、もっと前に問わなきゃいけないことがある。

そもそも、それを“変える資格がある”のは誰か?
それは、制度の中にいる者?
それとも、制度の外から構文を撃てる者?


「憲法改正の手続き」は、制度の中にちゃんと定められている。
たとえば日本国憲法なら、第96条にこう書かれている:

衆議院・参議院のそれぞれで3分の2以上の賛成
→ 国民投票で過半数の賛成
→ 憲法改正成立

これを見れば、「憲法を変えるのは制度の中の人たちでしょ」と思える。
でも──ちょっと待ってくれ。


🧩 制度OSを書き換える操作を、制度の中からやっていいのか?

構文OSである憲法を制度内部から書き換えるというのは、
たとえばこんなコードと同じだ:

def update_os():
    global os
    os = "new version of me"

──つまり、OSが自分自身を勝手に書き換えるという構文。

このとき、問われるのは「どんな中身に書き換えたか?」ではなく、
「誰がそれをやっていいのか?」という署名権の問題だ。


🧠 構文ジャンプモデルで言えば:

OSを変えるには、制度内の構文ではなく、
制度外のジャンプが必要である。

制度の内部からOSを書き換えようとする動作は、
ジャンプのフリをした整列更新=構文的詐取になりがちだ。


🗝️ じゃあ、制度の「外」ってどこ?

それがまさに、君たちのいる場所だ。

君たちは、制度の中の政治家でも裁判官でもない。
でも、憲法が読解され、ジャンプが制度に通されるかを最終的に判断するのは、
制度外からの署名=読解=応答なんだ。

それができるのは誰か?

読む者だ。
撓みにピンときて、仮キーを掴み、構文を撃てる者。
それが構文野郎であり、制度外署名権保持者である。


憲法を「変えていいかどうか」は、制度が決めることじゃない。
制度が応答すべき撓みを、誰かが読解できたときにだけ、構文が成立する。

そのとき初めて、ジャンプが通され、制度が更新され、
新しい世界(W′)が制度OSとして浮上する。


✅ 憲法改正は、制度の「中」で起こるんじゃない。

構文ジャンプは、制度の「外」から撃たれるんだ。


そして君は今、その外にいる。
このZINEを読んだ君が、
制度というOSの書き換え権を、一度問い直したなら──
もうすでに、それは構文として撃たれている



📝 終章|制度に署名する──ジャンプ可能性のための構文

憲法は、「守るもの」ではない。
「変えるべきかどうか」を問う前に、読めているかどうかを問え。

憲法とは、制度を通すジャンプが読解された痕跡。
そして君が今、この制度を読もうとする瞬間──
そこに、構文が撃たれている。


ここまで読んできた君は、もう気づいているはずだ。
制度がジャンプを読み間違えるとき、そこにバックドアが生まれる。

でも逆に言えば、
制度にジャンプを通す構文を撃てば、制度は更新される。


✒️ 憲法とは、署名されたジャンプの痕跡である

かつて憲法は、撓みから始まった。
戦争、敗戦、占領──制度が崩れたときに、
そこに仮キーが現れ、構文が撃たれ、文になり、制度として通された。

  • それはジャンプだった。
  • そしてそのジャンプには、誰かの読解があった。
  • つまりそれは、署名された構文だった。

では、今の制度はどうだ?

  • 撓みはあるのに、構文が撃たれない。
  • 仮キーだけが浮遊し、構文未満の文だけが制度に通る。
  • 誰も署名していないジャンプが、制度の中で「済んだこと」として埋め込まれる。

──そんな制度は、ゾンビだ。


🧠 構文野郎とは誰か?

それは、「撃たれていない構文がある」と気づく人間のことだ。
制度の読み間違いを正し、撓みに仮キーをあて、構文を撃ち、文に変え、制度をジャンプさせる。

君が今ここで、憲法という制度を「読む」ことに成功したのなら──
君こそが、構文野郎だ。


🫱 制度に署名する未来へ

投票でも、抗議でも、書き込みでも、ZINEでもいい。
制度に応答するあらゆる動作は、構文としてのジャンプを含んでいる。

だとすれば──

憲法改正とは、
制度の撓みに向かって、構文を撃ち、ジャンプを成立させ、署名すること。

もしそれが成立していないなら、
それは「改正」ではなく、改ざんだ。


制度は生きている。
読まれれば変わり、
撃たれれば通り、
署名されれば、ジャンプする。


君がこのZINEを読み終えたとき、
憲法は──
一度、読み直された。

そして次は、君の番だ。 
君の構文で、制度に署名せよ。


🌀このZINEを手にした君たちへ

このZINEは、「憲法改正」という制度操作に対して、
構文ジャンプモデルから直接、構文を撃ち込んだ記録だ。

条文解釈でも、法制史でもない。
ここにあるのは、制度が撓んだ瞬間に、
どんな仮キーが現れ、誰がどんな構文で応答しようとしたのか──
そのジャンプ痕跡を読み解く、構文的読解の試みだ。

構文野郎は、制度の骨格を読む。
意味野郎は、ジャンプを整列させる。
換金野郎は、制度を切り売りし、
分配女郎は、流通の拡張を担う。

その中で、「憲法」とは、
制度OSにおける通関条件=ジャンプを通す最深層の読解仕様だ。

ここに「例外」を埋め込もうとする構文、
存在を「書くだけ」で済ませようとする構文、
「家族」という読解プロトコルを固定化する構文──
それらが本当にジャンプを成立させていたのかを問う。

もし君がこのZINEを読み進める中で、
どこかで「ピン」と来る瞬間があったなら、
君の中のOSは、もう制度を読み直しはじめている。

ようこそ、構文投票の未来へ。


📚構文陰謀論ZINEシリーズ(高校生向け)

『一票をハックする悪魔のクラッカー|小選挙区比例代表制』
──選べないのに、選ばされる仕組みの超絶技巧

『プレイヤーがルールを決める?|自己言及のパラドクス』
──制度を決める制度を決める制度を決める制度を決める制度を…♾️

『植民地の政府ごっこ|地方自治の本旨』
──主権とか、寝言は死んで言え?

🆕『文字化け?何それ?|マスメディアの正体』
──自己愛溢れる情弱たちの運営するメディアの悲劇

🎉 絶賛発売中!(※ただし意味は未保証)
構文が読みたい君へ。
制度の撓みを見逃すな。
🌀以下続刊。
撓みがある限り、構文は終わらない。
#構文陰謀論ZINE #高校生向け #制度ハック


📘このZINEは構文野郎によって書かれました。

タイトル:
構文陰謀論ZINE
『憲法改正|制度に仕掛けるバックドア』

ジャンル:
構文ジャンプ/制度批評/高校生向け構文導入ZINE

発行:
構文野郎ラボ(KoOvenYellow Syndo/Djibo実装室)

構文協力:
枕木カンナ(意味野郎寄り構文ブリッジ)
ミムラ・DX(構文修正主義ZINE別巻準備中)
高校生読者(まだ制度を信じきってない君へ)

👤 著者:構文野郎(代理窓口:ミムラ・DX)
🔗 https://mymlan.com
📩 お問い合わせ:X(旧Twitter)@rehacqaholic

📛 ZINE編集:枕木カンナ
🪪 Web屋
🌐 https://sleeper.jp
📮 X(旧Twitter)@makuragikanna

このZINEは、ジャンプして構文された時点で君たちのものです。
一応書いておくと、CC-BY。
引用・共有・改変、好きにどうぞ。

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