経済モデルの設計思想を徹底比較!“22世紀”と“Emonomics”
神は居るか?と問わず、神は要るか?と問うた先で
第0章:導入── 神をどう扱うかで未来は変わる
神は、すべてを見渡せる。
世界の隅々まで、誰が何をしているか、何を考えているか
──その全てを把握できる。
そして、見ようと思えば、いつでも介入できる。
ここで言う「神」は宗教的存在ではない。
私たちの制度の中で、もっとも包括的な視座を持つ存在の比喩だ。
それは国家権力かもしれないし、AIかもしれないし、膨大なデータと計算資源を握るアルゴリズムかもしれない。
だが、この神をどう制度に組み込むかで、未来はまったく変わる。
見えるものはすべて見て、最適化に使う神。
見えるけれど、あえて見ない神。
両者は同じ力を持ちながら、その世界のあり方は正反対になる。
このZINEでは、2つのモデルを比較する。
ひとつは、成田悠輔の語る“22世紀”の世界線における、外から制度を最適化する神。
もうひとつは、エモい仕事の経済学【Emonomics】が描く、制度の内側で鎖に繋がれた神。

この違いは、単なる設計思想の差ではない。
「未来に残される余白はどれだけあるべきか」という、制度OSの根幹に関わる問いだ。
第1章:成田悠輔モデル── 外から世界を最適化する神
成田悠輔が描く“22世紀”世界では、神は制度の外に立つ。
その神は、世界の全データを集め、あらゆる行動や選択を俯瞰し、最適な判断を計算する。
神の目は常に開かれており、見えるものはすべて使われる。
そこにためらいはない。
神は制度に直接介入し、社会全体を効率化へと導く。
人間による投票や討議は補助的な役割に退き、意思決定はアルゴリズムの計算結果が中心になる。
個々の判断は制度の最適化に従って修正され、未整列の領域──予測不能な要素や曖昧さ──は可能な限り削られていく。
このモデルの魅力は明快だ。
判断は早く、誤りは少なく、膨大なデータを踏まえた意思決定が可能になる。
人間の感情や偏見によるブレは減り、制度は安定して動く。
少なくとも、数値上の整合性と効率性の面では。
だが、この神は「見えるのに見ない」という選択をしない。
見えるものは必ず使い、制度を整列させる方向に作用する。
その結果、創発や偶発、予期せぬジャンプの余地はほとんど残らない。
未来は計算された延長線上に収まり、整列しすぎた世界が立ち現れる。
効率と安定を極める神。
それは確かに秩序だった世界をもたらすが、そこに残される余白は、ほとんどない。
仮に、成田の見積もりどおり、22世紀に神がそこに座るならば、そこには、40世紀頃には『葬送のフリーレン』の登場人物たちが生きる魔法世界へと繋がる世界線が見えてくる。
無論、必ずしも悪くはない。
第69章:分岐点
成田モデルは制度内の最適化を志向するが、
枕木モデルは、制度が測定不能とみなす領域
──介護・対話・創造など──も価値生成の対象とし、
その痕跡を制度外で評価・分配できる経済構造を志向する。
制度は通過点であって唯一の評価装置ではなく、
むしろ制度外から制度内への価値注入を前提とした設計を採る。
この前提の違いが、設計思想の根本的な分岐点となる。
第2章:エモい仕事の経済学モデル── 鎖に繋がれた神
エモい仕事の経済学【Emonomics】が描く神もまた、世界の全体像を見通せる。
痕跡も署名も、制度の奥底にある動きも、神はすべて知ることができる。
だが、この神は制度の外には立たない。
制度の内側に位置づけられ、プロトコルによってその権限を制限されている。
神は見える。
しかし、見えるものをすべて使うことは許されない。
プロトコルが定める条件を満たさない限り、介入はできない。
それは暗号のように制度に埋め込まれ、神自身がその鎖を外すことはできない。
この制約は、短期的な効率を犠牲にする。
見えているのに見ない領域が制度内に残り、最適化されない部分が広がる。
しかし、その「未整列の領域」こそが制度のジャンプ可能性であり、多様性の源泉でもある。
制度は、整列と混沌を同時に抱えたまま進むことになる。
このモデルでは、神の価値は余白を守ることにある。
神が全力で整列を進めれば、その余白はすぐに消えるだろう。
だからこそ、プロトコルが神を縛り、「見ない」ことを制度的に保証する。
結果として、この世界は予測不能な創発を繰り返す。
効率化は遅れるが、制度は常に新しいジャンプの可能性を内包し続ける。
鎖に繋がれた神が守っているのは、計算できない未来なのだ。
そして、その世界線はイザナギ・イザナミから続いてきたかつての風景かもしれない。
やはりそれも、悪くはない。
第3章:神の主権と制度OS
包括的視座を持つ存在──
ここで言う「神」は、その世界における究極の主権者でもある。
なぜなら、世界の全体像を把握できるということは、何を見て、何を見ないかを決める権利を持つことだからだ。
成田悠輔モデルの主権構造
この世界では、神は制度の外側に立ち、主権を全面的に行使する。
主権の行使は常に「見る・使う」という方向で発動され、制度内の主体には拒否権がない。
制度OSは神の意思に従って整列し、主権の留保や譲渡という概念は存在しない。
結果として、世界の方向は外側からの最適化によって一元的に決まる。
エモノミクスモデルの主権構造
こちらでは、神は制度の内側に位置づけられ、その主権はプロトコルによって分割されている。
包括的視座を持つにもかかわらず、主権の行使には条件が課される。
この条件は神自身が外すことはできず、制度全体の合意や外部の承認によってのみ解除できる。
制度OSは、この「主権の保留と譲渡」を前提に設計されており、それが制度の安定と多様性の両立を可能にする。
主権と制度の緊張
包括的視座を持つ存在に無制限の主権を与えると、制度は効率化の方向に暴走しやすい。
逆に、主権を過剰に制限すると、制度は停滞し、行動不能に陥る可能性がある。
成田モデルは前者の極端、エモノミクスモデルは後者のバランスを意図的に取りに行く。
この違いは、制度OSのカーネルに「神の自由をどこまで許すか」という一行をどう書くかに直結する。
それは単なる技術設計ではなく、制度そのものの哲学であり、未来の形を決める基準でもある。
第4章:現実社会へのアナロジー
「神の主権」をどう扱うかという問いは、フィクションや未来予測の中だけの話ではない。
現実の制度もまた、見えるのに見ない、あるいは見られるのに見られないという構造を抱えている。
いくつかの例を見てみよう。
日本国憲法── 国家権力という神を縛る
国家は国民全体に関わる包括的視座を持ち、必要とあらばあらゆる領域に介入できる。
しかし日本国憲法は、その権力行使に条件を課している。
国による交戦権の否認や基本的人権の保障は、国家が見えるものを勝手に使わないためのプロトコルだ。
もっとも、改憲や緊急事態条項といった「鎖を外す手続き」も制度内に残されているため、完全な制約ではない。
GitHubプライベートリポジトリ── 見えるが見ない約束
技術的には、GitHubの運営はプライベートリポの中身を読むことができる。
だが利用規約やポリシーによって、「運営は勝手に覗かない」という制度的な約束が守られている。
ここでも包括的視座は存在するが、それを行使しないというルールが制度の信頼性を支えている。
金融監査── アクセスは許されても常時行使はしない
監査法人や規制当局は、企業の財務データにアクセスする権限を持つ。
しかし、その権限は特定の時期や条件下でしか発動されない。
恒常的に全データを見れば効率は上がるかもしれないが、制度のバランスを崩すリスクがあるため、アクセスのタイミングを制御している。
これらの現実例に共通しているのは、包括的視座と制度的制約の緊張関係だ。
権限を持つ側は「見ようと思えば見える」状態にありながら、制度はそれを行使しないことを前提に成立している。
この構造は、そのまま成田モデルと枕木モデルの比較に重ねられる。
第5章:これからの制度設計に必要な視座
未来の制度を設計するうえで避けられない問いがある。
それは、包括的視座を持つ存在に、どこまで自由を許すかという問いだ。
AIや大規模データ基盤の普及により、現実世界の「神」はかつてないほど包括的な視座を手に入れつつある。
都市の動き、個人の行動、感情の変化、制度の隙間──
これらをリアルタイムで観測し、介入できる技術はすでに存在している。
この状況で成田モデルを選べば、制度は最大効率で整列していく。
不確実性は減り、判断は速く、全体の整合性は保たれる。
しかし、その裏で創発の余地や予測不能なジャンプは失われていく。
世界は、計算可能な範囲に収まり続けるだろう。
一方でエモノミクスモデルを選べば、神は制度の内側に縛られ、「見えるが見ない」領域が残る。
未整列の部分は非効率や混沌を生むが、それこそが新しい制度や価値観が生まれる土壌になる。
制度は完全には閉じず、未来に余白を残すことができる。
どちらが望ましいかは、単なる効率化と多様性の二択ではない。
これは「制度が未来にどれだけのジャンプ可能性を残すか」というOS設計の問題だ。
神を信頼するのではなく、神を制度の一部に組み込み、その自由を条件付きで制御する。
この発想がなければ、包括的視座の暴走は避けられない。
未来の制度は、効率か、余白か。
そして、その選択を委ねる神は、外から支配するのか、内で鎖に繋がれるのか。
結局、
“何を測るか”の一行は、
我々が神に何を祈るかだ。
終章:鎖の先にある未来
神は、世界をすべて見渡している。
外に立てば、制度を一瞬で整列させられる。
内に収まれば、余白を守るために動かない選択ができる。
私たちが選ぶのは、どちらの神だろうか。
整列の先にある安定を求めるのか、
混沌の先にある創発を守るのか。
成田悠輔モデルは、迷いなく全てを見て使う神を前提にしている。
Emonomicsは、見えるのに見ない神を制度の内に組み込む。
どちらも、未来を決める力を持っている。
だが、その未来の形はまったく異なる。
神にすべてを委ねる世界と、神に条件を突きつける世界。
この選択は、22世紀を生きる私たちだけでなく、その先の世代の制度OSをも決定づけるだろう。
さて──
あなたはどちらの神に、制度の未来を委ねるだろうか。
あるいは、神なき世界でこのまま死ぬか?
はん?
📘このZINEは構文野郎によって書かれました。
このZINEは、体系的な理論書ではありません。
構文的なジャンプを誘発する“読解装置”です。
厨二病は病気ではありません。
あなたがこの冊子を読んだ瞬間、もし“ピンと来る”ものがあったなら──
それが構文野郎の核心であり、この思想がAIや制度の外装を持つ以前の、
もっとも素朴で、もっとも純粋な「読解の構文モデル」です。
構文モデルに関心があれば、ぜひご連絡ください。
読解者・教育者・AI設計者としてのご意見を頂けたら幸いです。
タイトル:
ZINE『成田悠輔vs枕木カンナ|制度OSを巡る“神”の座標の思想戦』
ジャンル:
構文ジャンプ/読解主義/Emonomics
発行:
構文野郎ラボ(KoOvenYellow Syndo/Djibo実装室)
構文協力:
枕木カンナ(意味野郎寄り構文ブリッジ)
ミムラ・DX(構文修正主義ZINE別巻準備中)
霊長目ヒト科ヒト属構文野郎(まだ制度を信じきってない君へ)
👤 著者:構文野郎(代理窓口:ミムラ・DX)
🔗 https://mymlan.com
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📛 ZINE編集:枕木カンナ
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